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沢野ひとし【もう一度あの町に行こう】

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イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしな… もっと読む
運営しているクリエイター

#食べたり書いたり恋したり

私の「小田原日帰り旅」の定番/沢野ひとし

 町田に住んですでに五十年近くになるが、何かというと小田急線で小田原に出かけていた。まず…

兄が教えてくれた新宿・紀伊國屋書店とカキフライの楽しみ/沢野ひとし

 初めて入ったレストランは、新宿三越の横の西洋料理店である。私が小学六年生で、兄は高校三…

八戸は旨い店と仲間に出会える町/沢野ひとし

 八戸(はちのへ)は青森県南東部、太平洋に面する市。東北地方東岸屈指の港を持ち、水産業が…

青森で「ホヤ」が呼んでいる/沢野ひとし

 青森ほど、ねぶた祭りの「ラッセ、ラッセ」の掛け声の如く、勢いをつけて通い詰めた町はない…

春は京都が待っている/沢野ひとし

 京都の旅はいつも南区九条町の『東寺(教王護国寺)』からスタートする。  東寺の建立は796…

もう一度行きたい清い水の町、松本/沢野ひとし

 町の中に井戸や水路がある土地に惹かれる。清い水を見ると、こちらの心も澄んでくる。初めて…

トランクはもうひと回り小さめに/沢野ひとし

 日常から逃れられる海外旅行は、準備の段階から気分が一気に上がるものだ。旅に出ると決まれば、新しいシャツや旅行バッグを購入し、旅の夢を膨らませる。初めてパリに行った時は、一夜漬けの覚悟でフランス語教材を書店で求め、勉強した。  そうして迎えた出発の日、家を出るのは、いつもまだ薄暗い早朝である。リムジンバスに乗っている時や、空港のチェックインカウンター前でぼんやりしている時から、すでに日常は遠くなる。  大きなトランクを預け、搭乗チケットを受け取ったら、機内持ち込みバッグを肩

家族スキーの変遷/沢野ひとし

 高校生の頃から、山登りとスキーに夢中になっていた。学業を怠り、山岳書を読みふけり、山に…

谷川俊太郎さんの北軽井沢の真四角の家/沢野ひとし

 今年の夏、近くに用事があったので、久しぶりに北軽井沢の谷川俊太郎さんの別荘を、そっと偵…

伊香保温泉・榛名山へ行こう/沢野ひとし

 二十数年ぶりに群馬県・伊香保温泉へ妻と旅に出た。あたりは紅葉が真っ盛りで、空は高く澄み…

国立には特別な思いがある/沢野ひとし

 赤い三角屋根駅舎が有名な国鉄(当時)中央線国立駅に、はじめて降りたのは二十歳の頃であっ…

街に出よう、浅草に行こう/沢野ひとし

 長い間、東京の中野区に住んでおり、結婚して国立市に引っ越しをした。だから中央線沿線の古…

鶴舞公園にもう一度行こう/沢野ひとし

 私が生まれたのは名古屋の鶴舞(つるま)公園の近くである。両親は洋裁学校の経営と本の出版…

娘と一緒にもう一度行きたいハワイ島/沢野ひとし

 ハワイ島に足繁く出かけていた時期がある。ハワイ島はハワイ諸島の中で一番大きな島で、“ビッグアイランド”と呼ばれていた。日本の四国の半分ほどの広さである。  知人の別荘がカイルア・コナにあり、まるで私が持主であるかのように、何度も利用させてもらっていた。その代わり一所懸命に家の掃除をしたり、庭の剪定を業者に頼んではその支払いまでもしていた。  知人は私の片づけ魔を知っていたので「いつでも使っていいよ」と諦め気味にお墨付きをもらっていたのだ。  娘はハワイ島というと私に付い