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沢野ひとし【もう一度あの町に行こう】

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イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしな… もっと読む
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#イラストエッセイ

私の「小田原日帰り旅」の定番/沢野ひとし

 町田に住んですでに五十年近くになるが、何かというと小田急線で小田原に出かけていた。まず…

私はこれで、スキューバをやめました/沢野ひとし

 スキューバダイビングに夢中になっていた三十代の終わりの頃、沖縄の那覇を起点に、年に二、…

兄が教えてくれた新宿・紀伊國屋書店とカキフライの楽しみ/沢野ひとし

 初めて入ったレストランは、新宿三越の横の西洋料理店である。私が小学六年生で、兄は高校三…

何度でも行きたい小川山のキャンプ場/沢野ひとし

 2020年は新型コロナウイルスに翻弄された一年であった。毎朝、新聞を開くたびに「また増えた…

谷川俊太郎さんの北軽井沢の真四角の家/沢野ひとし

 今年の夏、近くに用事があったので、久しぶりに北軽井沢の谷川俊太郎さんの別荘を、そっと偵…

伊香保温泉・榛名山へ行こう/沢野ひとし

 二十数年ぶりに群馬県・伊香保温泉へ妻と旅に出た。あたりは紅葉が真っ盛りで、空は高く澄み…

街に出よう、浅草に行こう/沢野ひとし

 長い間、東京の中野区に住んでおり、結婚して国立市に引っ越しをした。だから中央線沿線の古書店や居酒屋、古い喫茶店の話題になると、熱っぽくなる。  逆に浅草や深川界隈の下町はさっぱりで、頭に地図が浮かばず、友人が酔って「隅田川は『澄んだ川』の意だ」(※)という話を羨ましく聞いていた。その隅田川がどこの町を通り、どの入り江に流れ込んでいるのか、わかっていなかった。  秋は散歩にぴったりの季節である。大正時代からある白鬚橋(しらひげばし)を友人と眺めていた。元々は1914年(大正

鶴舞公園にもう一度行こう/沢野ひとし

 私が生まれたのは名古屋の鶴舞(つるま)公園の近くである。両親は洋裁学校の経営と本の出版…

娘と一緒にもう一度行きたいハワイ島/沢野ひとし

 ハワイ島に足繁く出かけていた時期がある。ハワイ島はハワイ諸島の中で一番大きな島で、“ビ…

歳月人を待たず/沢野ひとし

 2020年は中国旅行を三回予定していた。三月の北京、九月の山西省の大同と、旅行代金はすべて…

「もう一度行きたい町」に早く出かけたい/沢野ひとし

 2019年の十二月に中国湖北省武漢市で集団発生し、世界中を恐怖に陥れた新型コロナウイルスは…

哲学堂公園にもう一度行きたい/沢野ひとし

 通っていた中野区の小学校は、東中野の家から歩いて三十分の距離にあった。下校時は思い立つ…

もう一度行きたい野辺山駅/沢野ひとし

 十代の頃から八ヶ岳に憧れ、四季折々小海線にお世話になってきた。  八ヶ岳山麓をぐるりと…

もう一度北京の凧揚げおじさんに会いたい/沢野ひとし

 北京を初めて訪れたのは、二十数年前の初夏である。紫禁城、天安門広場、万里の長城、天壇公園と天候にも恵まれ、観光を満喫した。建築物の想像を超えた空間の広さには、たじろぐものがあった。  とりわけ歴代の皇帝が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願ったという天壇公園の祈年殿(きねんでん)には身震いがした。美しく荘厳な建物の中にいると、不思議と安らぎを感じた。  ツアーバスが待機している駐車場に戻る途中、歩道橋を渡ると、そこには巨大な凧を揚げている親父が居た。歩道橋の上は、たしかに風が