マガジンのカバー画像

沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】

20
イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。この連載『食べたり、書いたり、恋したり。』をまとめた電子書籍版が、Amazo… もっと読む
運営しているクリエイター

#世界文化社

真夏の大掃除/沢野ひとし

 我が家の大掃除は、お盆の頃に実行している。小掃除は年末に。八月の暑い日の大掃除には力…

哀愁の温泉宿と椎名誠/沢野ひとし

 コートのエリを立てる季節が訪れると、不意に温泉が恋しくなる。出版界が元気だった二十年前…

秋の夜長はウクレレと紅茶/沢野ひとし

 ウクレレは手軽に演奏できる楽器である。ポルトガルの民族楽器が、ハワイアン音楽に溶け込…

100

焼きうどんの衝撃/沢野ひとし

 うどんは熱い汁の中で一生うたた寝をしている食べ物である。キツネうどん、タヌキうどん、月…

100

優雅な避暑地/沢野ひとし

 今年の夏の猛暑は人間の思考を停止させ、若者から高齢者まで体調を整えるのが至難の業であっ…

娘の黒糖、母の花林糖/沢野ひとし

 二十数年前、娘は奄美諸島の徳之島に一年ほど滞在をしていたことがある。村の食堂で働き、気…

100

スイカと迎え馬/沢野ひとし

 通っていた千葉市内の高校は麦畑の広がる丘の上にあった。満員の通学バスは、田舎で育ったカボチャやジャガイモのような連中が詰め込まれ、押しくらまんじゅうであった。  美術クラブが私の安らぎの場所であった。凛とした一年先輩の女子生徒がいつも油絵を描いていた。芸術に対して話題が豊富で、話すたびに魅かれていった。  夏休みに入ったある日、彼女から手紙が届いていた。封筒を開けると「お盆の頃に暇だったら家に遊びに来ませんか」と地図も描かれていた。私は喜び勇んでスイカを手土産に彼女の家を

有料
100

八丈島の青トウガラシ/沢野ひとし

 何度も呆れるほど通った島は八丈島である。道端にハイビスカスやストレチアの花が咲く南国…

100

沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第11回 押し寿司の季節がやって来た。

 我が人生はずっと押されっぱなしの日々であった。積極的に自分から押すのは、二ヶ月に一度の…

100

幸せの弁当人生/沢野ひとし

 高校時代から弁当は自分で作っていた。塩ジャケ、タマゴ焼き、タラコが黄金の三点セットで、…

沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第9回 餃子を訪ねて三千里

「母親の餃子が一番」。  そう断言する中国人の友人に出会った。ならばそれを食べてみたい。 …

沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第8回 哀愁のいなり寿司と椎名誠

 あれはもうすでに半世紀も前の、遠くて近い過去になってしまった。千葉の稲毛駅で椎名誠と待…

100

沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第7回 納豆に恋して

 小学校三年生の時の運動会が忘れられない。50メートル競走の賞品に納豆がでた。一等はノート…

100

沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第6回 目に涙、口から火を吹く火鍋人生

 北京オリンピック(2008年)に大勢のメディア関係者が取材に行ったが、帰国した友人の話は「火鍋が凄かった」「火鍋はやみつきになる」と激辛の鍋料理に終始した。  七年前に私はなんの目的もなく北京を電撃訪問した。そして歴史、文化に触れることなく、火鍋にしびれた。その後10回近く訪れたが、行くたびに、市内の火鍋の店で汗だくになって一人火を吹いていた。

有料
100