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春は京都が待っている/沢野ひとし

 京都の旅はいつも南区九条町の『東寺(教王護国寺)』からスタートする。
 東寺の建立は796(延暦15)年、623(弘仁14)年には嵯峨天皇より弘法大師空海に下賜され、以来、真言密教の根本道場として栄えた。日本最大の五重塔、南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)など、荘厳な建造物群や、21の仏像からなる立体曼荼羅の威容に圧倒される。
 私は東寺の職員と親しくなったことで京都の歴史を勉強することができた。

八坂の塔


 仏像は時代の移り変わりに応じて、並べ方を替えたり、別の寺院と交換したりするそうだ。
 何度目かに東寺を訪れた時、仏像の案内や説明をしている白髪まじりの職員にあれこれ尋ねると、実にわかりやすく、親切に教えてくれた。私はしつこい性格なので、翌日も東寺を訪れ、また質問すると、携帯電話を取り出して「分からないことや疑問があったら、いつでも電話しなさい」と言ってくれた。
 その後、一般の人は入れない非公開の庭や、奈良の寺などに何度も同行させていただいた。振り返ると、見知らぬ人と知り合いになる秘訣は、やはり「礼儀と節度」に尽きる。

京野菜

 とにかく五十代の頃は毎月のように京都に通い、時の流れを感じる小路をひたすら歩いた。
 その当時は駅から歩いて行ける『京都パークホテル(現ハイアットリージェンシー京都)』が定宿であった。隣には『三十三間堂』があり、1001体もの千手観音立像が並ぶ堂内で、毎朝掌を合わせていた。

 向かいにある『京都国立博物館』の落ち着いた佇まいも好ましい。博物館が所有する収蔵品が約8130件、京都や奈良の寺社からの寄託品が約6520件と膨大で、スケッチ帖を手に半日を過ごすこともある。

 少し上(あが)って『河井寛次郎記念館』に足を運ぶ。陶芸家・河井寛次郎の住居がそのまま記念館として使用されており、その人柄を偲ばせる書斎や、居間に魅せられる。素朴で品の良い陶器や家具を見ると思わず自分の暮らしと照らし合わせてしまう。

三十三間堂

 さらに上って『前田珈琲』の室町本店に行く。京都の人は「上ル」「下ル」という言葉を良く使う。馴れないうちは戸惑うが、京都の中心部を歩く時は便利な言葉だ。私の京都歩きは常に「上ル」である。つまり北へ北へと鯉の滝登り状態で進む。
 前田珈琲はまことに正統派の老舗喫茶店で、疲れた時や本でも読みたい時にはタクシーで乗り着けるほど気に入っている。広い店内には新聞や地図をひろげてもまだまだ余る大きなテーブルがあり、その一角が私の指定席である。朝七時から開店しているので、早朝からホテルを出て散歩がてら、厚めのトーストとポテトサラダ、コーヒーでゆったり朝食を摂るのが至福の時間でもある。

 さらに上った鴨川沿いの道も旅情を誘う。京都は川や小路に癒される。周りの山を見ながら出町柳まで歩く。
 一乗寺の書店『恵文社』では、京都の文化がぎゅっと詰まった本棚に釘付けになる。文学・芸術・旅といったジャンルの本に手が伸びる。文具や雑貨のセレクトもセンスが良い。旅行中は気が大きくなるのか、あれもこれもザック一杯に買い込んでしまう。

抜けない

 夜は四条大橋に戻り、格子戸の町家が連なる白河南通の一角にある『八咫(やた)』で京料理。小料理がメインだがバーもある人気店なので、必ず予約をして欲しい。
 店構えこそ「一見さんお断り」の雰囲気だが、店のスタッフはいたってフレンドリー。どの料理も素晴らしく、京都の夜はここ、と決めている。二階のバーカウンターはほんのりした照明で、女性といれば恋の予感に胸がときめく。

 帰りは京の土産に祇園新地『いづう』で鯖姿寿司を買い求める。身が厚く、酢の味が上品である。帰宅して妻に鯖寿司の袋を渡すと決まって「誰と一緒に行ったの」と不信そうな表情をする。

待つ女

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。最新刊『ジジイの片づけ』(集英社)が好評発売中。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi