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イスラム横丁/中澤日菜子

「イスラム横丁」という場所をご存じだろうか。
 東京の新大久保駅前から数十メートルにわたってつづく路地、その路地の両側に、インド・ネパール食材のお店や、イスラム圏の雑貨を商う雑貨店がずらりと並ぶ、いっぷう変わった横丁である。買い物だけでなく、ネパール料理やケバブなど、食事を楽しむこともできるという。
 そのイスラム横丁に、先日行くことになった。
 目的はふたつ。
 一つめは、スパイス大好きな友人の誕生日に、珍しいスパイスや料理でよく使うスパイスを大量にプレゼントしたいから。
 二つめは、噂に聞く「知らないひとは絶対に入れない、どうみてもただの食料品店にしか見えないネパール料理店」で、ぜひ食事をしてみたいと思ったからである。

 さて当日。
 新大久保の改札を出て、目の前にある交差点を渡り、左手すぐの道を入るともうそこはイスラム横丁。派手な看板にはアラビア語や英語が躍り、行き交うひとびとは圧倒的にアジア系、中東系のかたたち。そこにわたしのようないかにも観光客~な日本人が混じっている。
 スパイス探しのまえにまずは腹ごしらえをと、例の「知らないひとは入れない」というネパール料理店を探す。ネットの情報を確認しつつ探すこと十分。
 あった、ありました。美容室やマッサージ店が入居する雑居ビルの二階に目指す店が。けれども店の構えはどうみても普通の食品&雑貨屋さん。狭い入り口からなかを覗いても、椅子やテーブルは見当たらない。
 レジに座るおじさんに、恐るおそる「あ、あの、ここでご飯食べられるって聞いたんですけど」と告げると、おじさんはおもむろに頷き「どうぞ。こっちだよ」と店内向かって左側のカーテンをめくってくれた。なんとそこには狭いけれどもちゃんとした食堂が! これはわからんわー、まるで秘密基地のようだわーと感動しつつ着席。差し出されたメニューから「ダルバート タルカリセット」をオーダーする。

 ダルバートとはネパールの定番家庭料理で、ダル(豆のスープ)にバート(ご飯)、そこにタルカリ(カレー味の野菜のおかず)とアチャール(漬物)がセットになった、日本風に言えば野菜炒め定食である。今回はこれにマトンカレーがついている。ではではさっそくいただきまーす。
 うん、美味しい。素朴で素直な味がする。
 飛び交うネパール語、立ち込めるスパイスの香り、ふらりと入ってきては黙々と食事をするアジアの青年――ここが日本であることを忘れそうになる時間であった。

 お腹いっぱいになって、店を出る。次なる目的はスパイス購入である。
 横丁のほとんどが食材店なので、探すまでもなくいくらでも目に入る。業務用だろうか、五キロはありそうな大袋から、一般家庭向けの百グラムほどの小袋まで、種類もクミンやチリパウダーといった馴染みのあるものから、初めて見るような変わり種まで、ありとあらゆるスパイスが揃っている。しかも値段が安い! 
 こうなったらなるたけたくさん買ってしまえ! 目についたスパイスを次々買い物かごに放り込んでゆく。せっかくイスラム横丁まで来たのだからと、使いかたのまったくわからぬスパイスもたくさん混ぜる。ある意味友人への嫌がらせに近い。
 ふくらんだレジ袋を両手に抱え、大漁大漁と自己満足にひたりながら横丁をあとにした。

 この日の次の予定は、知り合いの映画監督にお誘いいただいた新作映画の試写会である。レジ袋は大きくとも、中身はスパイス、たいした重さはない。このまま持って試写室に入ればいい。入れば――だがそこでふと、胸に一抹の不安が浮かんだ。
 このスパイス、かなり匂うぞ。しかも試写室は狭い。話題作だけに客も多かろう。そんななか、強烈なスパイス臭をまき散らしながら映画を観てもいいのだろうか。いやよくない。絶対よくない。
 最寄り駅につくやいなや、血眼になってロッカーを探し、買ったものすべてを預けてから試写室に飛び込んだ。
 結果的に言えば、預けて大正解。映画は、繊細で切なく美しい恋愛映画で、もしも上映中にあのスパイス類が匂ったら、作品世界が台無しになること間違いなし。
 教訓。次回イスラム横丁に行くときは、あとの予定は入れずにおこう。絶対にそうしようっと。

【今日のんまんま】
 ネパール料理は野菜が多くてヘルシー。少しずついろんな味を楽しめるのもグッド。んまっ。

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(ソルティカージャガル)

【んまんま日記】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。

文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
Twitter:@xrbeoLU2VVt2wWE

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