note_第55回命の老眼鏡

命の老眼鏡/新井由木子

 ペレカスブックにはいくつかのワークショップがあります。なかでも紙の工作のシリーズではマチエールのある素材を準備することにこだわっています。
 段ボールに面白いと思う色を塗りまくり、グラデーションをつけたり模様を描いたりします。そしてそれをいろいろな形に切りまくります。
 ワークショップ当日は、会場中にそのパーツを貼り、子どもたちは自由にパーツを組み合わせて、自分だけのお面や望遠鏡などを作るのですが、とにかくパーツが多くなければつまらないので、いつもかなり大量の作業が発生するのです。

 翌日に迫ったワークショップは、大量の紙を使ってペレカスブックを秋の森のようにし、木の実(のような紙)や枯葉(のような紙)を森の中で見つけて、自由にどうぶつのお面を作ろう、というものでした。
 お客さまのいなくなったペレカスブックの閉店後、段ボールや紙工場から貰った端材など、大量の材料を前にして、わたしはいつものように追い詰められておりました。
 そして、追い詰められているというのに、わたしの眼球そのものと言っても過言ではない老眼鏡が見当たらず、困っていました。手元がはっきり見えないままでは、作業時間が1.5倍に膨らんでしまいます。
 まごまごと迷っている猶予はない。時間の無い中、わたしは買い物に時間を裂く決断をしました。暗くなった町に飛び出すと、閉店ギリギリのスーパーのメガネ店に滑り込み、3000円の老眼鏡を購入し、急いで戻ってきました。

 しかし信じられないことに、その老眼鏡は各所のネジが緩んでいたらしく、装着したとたんに、わたしの顔の上でバラバラに壊れてしまったのです。
 レンズとブリッジをつないでいる小さなネジが床に落ちた音が、微かに聞こえました。メガネに使われているネジはその全長が3mmもない本当に小さなものです。しかも、捜そうとするわたしは老眼で、老眼鏡がないと何も見えないのです。
 老眼鏡の小さなパーツを床の上で捜すには老眼鏡が必要だが、老眼鏡はバラバラに壊れているという、まるで禅問答のような状況です。
 わたしは床に這いつくばって指先の感覚でネジを捜し、ようやく見つけたネジをレンズの小さな穴に手探りで通しました。が、ネジはネジだけではレンズを支えてはくれません。どうやら、これまた小さなナットを捜さないと、老眼鏡は正しい形を成さないようなのです。そして、どんなに一生懸命捜しても、ナットは出てきてくれませんでした。

 もうメガネ店も閉店しており、1.5倍の時間がかかろうとも、このまま作業を続けるしかないのでした。しかし、わたしの心は意外にも平静でした。
「眠らなければ良いだけの話、さ」
 そう声に出してみると迷いは消え、そんな風に思えた自分をすごいと思いました。わたしの人間性が一つ上のステージに上がった実感があります。そしてよく見えないたどたどしい手つきながらも、黙々と作業は続き、ついにペレカスブックの中に、紙でできた秋の森が出来上がったのでした。

 時計を見ると朝の8時。ワークショップはお昼からですから、一度家に帰って身体中の絵の具を落とし、仮眠を少しだけとろう。そう思って、わたしは首に巻いていた手ぬぐいを取りました。すると驚くべきことに、手ぬぐいに巻き込まれる形で、なじみの老眼鏡が出てきたのです。
 けれども人間としてのステージが上のランクに上がっているわたしは、がっかりしたり、自分で自分に腹を立てたりすることもなく、
「こんなに近くにいたんだね。キミがいないとどんなに困るのか、身にしみてわかったよ」
 と、優しい気持ちで、老眼鏡に声をかけるのでした。

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 苦労が報われ、ワークショップは大成功でした。子どもたちは秋の森で、紙でできたブドウや南天の実や色とりどりの枯葉をお面に飾り、秋の物語を楽しみました。

 これらはすべて去年のこと。季節は再び巡り、秋の気配がしてまいりました。
 歳月は分解された老眼鏡の上にも流れ、今では鼻にあてるパッドの部分も、片方がなくなってしまいました。けれどもバラバラの部品を顔の上で組み立てれば安定し、身体全体を動かすことのないパソコン作業くらいならこなすことができるので、なじみの老眼鏡を家に忘れてしまった時には、よく使っています。

 先日、その老眼鏡を使ってデスクワークをしているところに、絵描きのキヨシちゃんが来て、
「もう、そんなんだったら、テープでぐるぐる巻きにしたらいいですやん」
 と、言いました。
 テープでぐるぐる巻きの老眼鏡!
 それはもう、昭和初期によく見られた、一日中ステテコでいるおじいさんのキャラクターです。
 でもまあ良いかと思って、わたしは老眼鏡をセロハンテープでぐるぐる巻きにし、なじみの老眼鏡を忘れた日には使っているのですが、それで接客しても誰も何も言わないのが不思議です。

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コンバーション中を、このように紙だらけにしました。窓や壁に貼り付けた、どうぶつのお面や長い尻尾にする紙は、ワンプ(紙を包んでいた大きな紙)を使って準備しました。

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紙でできた秋の森の入り口

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茶色のリボンは荷札工場からいただいた廃材です。廃材なのに、かわいい!

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト・写真:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook