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掛川への思い/沢野ひとし

 歳を取るにつれて、もう一度行ってみたい町や山が、夢の中に出てくる。それは遠くて二度と行けない海外の町などではなく、隣の丘を越えた神社だったりもする。

 静岡県掛川市にある資生堂アートハウスは、42年前の1978年に開設された美術館である。資生堂の創業以来の化粧品やポスター、「椿会美術展」や「現代工藝展」などに出品された現代美術作品が収蔵されている。
 とりわけ資生堂の名デザイナーと呼ばれた小村雪岱(こむらせったい)ファンとしては、見逃すことができない美術館である。

 さらにもう一つの見どころは、均整のとれたモダニズム建築の建物。名建築家、谷口吉生(たにぐちよしお)・高宮眞介(たかみやしんすけ)両氏の設計である。谷口吉生は寡黙な建築家で、「建てたものを見てください」と、一切表に出てこない信念の人物である。

掛川城

 町を歩いていると“東海の名城”といわれる掛川城が見える。城の上の天守閣に登り、そこからの風景にうっとりする。
 江戸時代の面影をそのまま残した町並みが、まるでジオラマのごとく広がっている。城はそれこそが旅情のかたまりともいえる。

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 掛川には人気の高い鰻店が多い。同行した友に、昼食をごちそうすることにした。ただし夕食は地元の人がフランス料理店を予約してくれていたので、ケチるわけではないが、一番小さい鰻重を注文した。

 鰻はじっくり待たされる。そして漆塗りの重箱の蓋を開ける時に、ドラマが待っている。
 甘い重厚な匂いとしっとりした蒲焼きの艶。そっと重箱の蓋を上げたその時、「あっ」相手も私も一瞬息を止めた。
 あまりの鰻の小ささに愕然とした。
 今まであった掛川への思いが、もろくも崩れていくようであった。

 今度来る時は絶対に「上」か「梅」を、と相手に伝えると、「でもこれで充分おいしいですよ」と救いの手を差し伸べてくれた。

 あれは10年ほど前の、夏もおわりの頃だったのだろうか。掛川城を訪れた帰りに川沿いの道を歩くと、真っ赤なカンナの花が咲き乱れていた。

赤いカンナの咲いていた道

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi