note_第25回男の友情

男の友情/中澤日菜子

 敬愛していたお店があった。大好きなお店があった。
「あった」と過去形なのは、惜しくも二〇一八年二月に閉店してしまったからである。
 そのお店の名は「ロビン」もしくは「勝栄軒」。なぜ店名がふたつあるのか? それはこのエッセイを読んでいただけたらわかると思う。

 お店があったのは京王相模原線永山駅の駅ビルで、わたしが大学生のときにはすでに開業していたから、たぶん三十年以上、営業していたのだと思う。
 駅ビルの4階、レストラン街の一角にそのお店はあった。
 もともとは中華料理の「勝栄軒」と、イタリアンを主とする「ロビン」の二店舗に分かれていたのだが、なぜかあるときを境に「勝栄軒」がなくなり、そのお店のマスターが「ロビン」の厨房に立つようになった。もちろんもともとの「ロビン」のマスターも健在である。つまり「ロビン」と「勝栄軒」が合体・統合された、いわばハイブリッド飲食店に生まれ変わったのであった。

 この「謎」について、わたしはさまざまな憶測をめぐらせた。結果、たどり着いた結論が「経営難に陥ってしまった『勝栄軒』を救うべく、友人である『ロビン』のマスターが『一緒にやろうぜ』と救いの手を差し伸べた」というもの。
 もちろんわたしの勝手な憶測であるから、真相はまったく違うかもしれない。経営が難しくなったのは「ロビン」のほうかもしれないし、両方のお店が同時に大変になってしまったのかも。とにかく「ロビン」と「勝栄軒」は合体した。わたしはそこに「熱い男の友情」を見て感動し(これまた勝手に)、こころのなかで「男の友情店」と名付け、通っていたのである(勝手にもほどがある)。

 イタリアンと中華が合体したのだから、メニューは半端ない守備範囲の広さとなった。ナポリタンから焼きうどんまで、ドリアから唐揚げ定食まで。さらにはカキフライ定食や、ロースカツ煮込み定食なんていうものまで存在した。中華色が薄いと感じられるが、たしか合体した当初は麻婆豆腐や青椒肉絲もメニューに載っていた気がする。

 マスターの住みわけも当初ははっきりしていた。ナポリタンの注文が入れば「ロビン」のマスターが、生姜焼きが入れば「勝栄軒」のマスターが調理していた。
 だが男の友情は国境を超える。
 いつしかどのメニューがオーダーされようと、どちらか厨房にいるほうが調理するようになっていき、さらには店名も「勝栄軒」と表記されたり、「ロビン」と看板にあったりとかなりいい加減に、もとい男性特有のおおらかさがにじみ出るようになった。

 通って来る客は、そのおおらかさを愛した。
「今日はパスタが食べたいな」という女性と、「がっつり肉系の定食がいい」という男性のカップルがいたとする。「勝栄軒ロビン」は、その両方を持ち前のおおらかさで受け入れ、ふたつの胃袋を満足させるという奇跡の技を持ち合わせていたのだ。こんな素敵なお店、なかなかお目にかかれない。

 しかもこのお店のパスタは、昭和の香り懐かしき「ロメスパ」=「すでに茹でてある麺を炒める焼きスパゲティ」であった。生パスタだ、手打ちだと本場の味が浸透するなかにあって、決然と昭和スタイルを変えることなく貫きつづけたのだ。
「ロメスパ」については、またの機会に譲りたいと思うので深く追求しないでおくが、とにかく「勝栄軒ロビン」は、そんな懐の深いお店だったのである。

 いまでも店舗のあった場所を通るたび「ああ、もう一度食べたい」と強烈に思う。
 いつかどこかであのDNAを受け継いだ店がよみがえってはくれまいか――そんな期待を捨てきれない、愛すべき名店だったのである。



【今日のんまんま】
葉山で釜揚げしらす丼。名物葉山餃子と身の厚いアジフライもついて大満足。んまっ。

釜揚げしらす丼

(葉山港湾食堂)

文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。Twitter:@xrbeoLU2VVt2wWE