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言葉のマジックに気をつけよう/新井由木子

「わたしには、伸びしろしかない」
 この言葉を聞いたのは、人生で初めてパソコンを買うという女性(四十代)の相談に乗っているときのことでした。
 彼女がやりたいことをするには最適であろうと、わたしの薦めたのは、薄型のマッキントッシュ。銀色に輝くその美しいフォルムを見ながら彼女の呟いたこのセリフは希望と自信に満ちていて、聞いているこちらも、彼女自身に高機能CPUが搭載されるような全能感を覚えたものです。

 しかし落ち着いて考えてみると、スキルがゼロであることを、これほど希望的観測で表した言葉は他に無いのではないでしょうか。
 あれから1年あまり経ちましたが、彼女の伸びしろは、半角カタカナを打つ方法に悩んだりしながら、じわじわと伸びています。

「でも、いい人だよね」あるいは「悪い人じゃないんだけどね」
 こちらは、その場にいない人の陰口を叩いたり、散々こき下ろした後で、結びにつけ加えられがちな言葉です。言いたいことを思い切り吐き出したうえで、自分を悪者にしないために使われます。
 悪口を言ったわけではないよ。吐き出した真っ黒な毒を、白い絵の具で塗りつぶすような、後出しの最強兵器。知る限り最もズルい一言で、わたしも使った覚えがあります。

 このように、人々はこの恐るべき『言葉のマジック』を駆使して、本心をやんわりと伝えたり、真実に至るまでの時間を引き延ばしたり歪曲したりして、人間関係に角が立たないよう、過ごしているのです。

 それに鑑みて、わたしの人生においていちばんすごいなと思った言葉のマジックは、こちら。
「君のためなら、僕にできることはなんでもする」
 今では信じられないかもしれませんが、こんなわたしでも、鬼も十八番茶も出花という諺(ことわざ)にあるように、モテ期があったのです。
 わたしの両手を握り締めてそう言う彼の目は澄んでおり、嘘をついているとは思えませんでした。

 ちょっと聞くと、わたしのためになら灼熱の炎に身を投げることも厭わないようなセリフですね。しかしマジックは、一文の中に「僕にできること」というワードが入っているところにありました。
「僕にできること」は、実は非常に限られていることが、交際が進行するにつれて、はっきりしてきたのです。

 当たり前のことですが、何ができて何ができないかは、彼自身の判断によって決められます。炎に身を投げることはもちろん、彼の下積み時代を支えたという彼女と別れることも、できないことに(あろうことか二股かけられていました)。しまいには週に1回会うことですら、彼にはできないことになり、別れに際しては、わたしの気持ちを聞くことすら不可能になりました。まあ、わたしの『モテ期』なんて、そんなものです。

 しかし今でも、彼の星座である山羊座が占いランキングで最下位になると、そのまま地獄まで落ちて閻魔様に舌を抜かれてしまえ、と思います。

思いつき書店090文中

(了)

草加の、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴る連載です。毎週木曜日にお届けしています。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。
「東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、思いつきで巻き起こるさまざまなことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook