note_第2回バラエティ

中澤日菜子【んまんま日記】#2 バラエティ

 とある秋の日の夕暮れ、書きもの仕事を終えたわたしは、夕飯の買い出しのため駅前に向かった。
 目指したのは駅ビルに入るちょっと高級なスーパー。輸入食材やらスパイスやらが並ぶ、きらきらしいスーパーである。
 今夜の献立はなんにしよう。昨日魚だったから今日は肉にしようかな。
 そんなことを考えながら精肉売り場をうろうろしていると、とつぜん横合いから声をかけられた。

「奥さん、ちょっといい?」
 振り向くと、八十代後半とおぼしき老婦人が肉のパックを持ち、眉間にしわを寄せて立っている。
「はい、なんでしょうか」
「この肉、生姜焼きに使えるかしら?」そう言う と老婦人は、ぐいっ、手に持ったパックをわたしに差しだした。戸惑いながらも表面に張られた透明なラップに目を落とす。そこには「群馬産 豚肩ロースバラエティ用」と書かれた白いシールが貼ってあった。

 バラエティ用? 初めて目にする表示だ。こんどは中身の肉に視線を移す。薄切りとも言えず、さりとてふつう生姜焼きに使うロース肉よりは厚みがない。とはいえ小間切れではなく、ある程度おおきさの揃った肩ロース肉が整然と並んでいる。
 はたしてこれは生姜焼きに使えるか。沈思黙考すること十秒「たぶんだいじょうぶだと思います」、あまり自信はないものの、老婦人に告げる。老婦人の顔がぱっと明るくなった。
「そう。ありがとう。バラエティ用ってなんのことかわからなくてねぇ」

 カゴにパックを放り込み、いそいそと去って行く彼女の背中を見送ってから、わたしは再度ショーケースを眺める。「バラエティ用」の棚には「肉野菜巻きに、野菜炒めに、しゃぶしゃぶにも使えます」と記したボードが掛かっている。つまり「バラエティ用」は「ま、とりあえずなんに使ってもいいですよ」という意味らしい。
 確かにこれはわかりにくい。老婦人でなくとも戸惑うだろう。そもそもなんで横文字で説明するのか。なんにでも使えるなら「切り落とし」でいいではないか。英語に弱いわたしはハゲシク憤慨した。そうでなくとも巷は横文字で溢れている。

「企業のアカウンタビリティ」。説明責任でよいではないか。
「バズ・マーケティングは有効だね」。すでに口コミという立派な和製英語があるではないか。
 そして極めつけ「ダイバーシティ」。恥ずかしながらこのことば、わたしはてっきりお台場付近の街を指すものと思い込んでいた。
「もはやダイバーシティの時代ではないよね」と知人に言われ、
「そうだね。フジテレビは早く引っ越すべきだよね」とこたえて大笑いされた。その苦い経験から、わたしは「ダイバーシティ」とは多様性という意味だと学んだのだった。苦い。苦すぎる経験……

 話が逸れてしまった。

 後日、わたしは件の「バラエティ用」を買い求め、じっさいのところどんなものなのか夕食に使ってみることにした。
 ラップを剥がし、肉をひときれ摘まみ上げる。厚さ二ミリほど、さすが高級スーパー、ほどよく脂の混じった綺麗な肩ロース肉があらわれた。これならいろんな使いみちがあるだろう。もしもまた同じような質問を受けたなら、胸を張ってこたえようと思う。
「生姜焼きでも肉じゃがでもカレーでも、なんに使ってもいいですよ」と。


【今日のんまんま】
「バラエティ用」で作った豚肉とピーマンのオイスターソース炒め。んまっ。

んまんま


文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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