note_第38回_残像で隠すの巻

残像で隠す/新井由木子

「恥の文化を、大切にせねばイカン!」
 お風呂に浸かりながら、その時わたしは、強く思ったのでした。

 一年中ビーチサンダル履きで、楽な服装ばかりしている暖かい離島出身のせいか、基本的にわたしはあまり服を着ているのが好きではありません。
 家に帰れば衣服をかなぐり捨てるように脱ぎ、身体をゆったりと覆うワンピースに着替えるのが常。ブラはもちろんパンツすらもつけたくありません。まるで、寝る時に身にまとうのはシャネルの5番だけだったというマリリン・モンローのようですが、見た目が違います。ジャバ・ザ・ハットをかわいくした感じ、と思ってください。
 そんな姿で寝転がっていると、気がつけばお尻が丸出しになっていることがあります。そういう時は恥ずかしいというよりも、誰かが見たら気の毒だなと思います。わたしがこのまま心臓発作で逝ったとしたら、救急隊の人は驚くだろうと考えるのですが、下着をつける煩わしさを考えるとつい楽なほうを優先し、お尻を出しています。

 お風呂上がりには身体を自然冷却するために、しばらくマッパで過ごします。ある日マッパで洗面所に立ち、歯磨きをしていると、洗面所のドアが開けっぱなしだったために、全てが玄関から丸見えになっていたことがありました。
 帰宅して鍵を開けた娘が、ただいまと言うより先に
「玄関開けたらマッパかよ!」
 と叫んだので、そこから笑いになるかと思ったのですが、娘の顔は全然笑っていませんでした。

 お風呂の中は考えごとの時間、自分を振り返る時間です。
 ふと思い出したのは、娘の笑っていなかった、あの顔。家の中が女と猫だけで構成されているからといって、お尻を丸出しにしても平気な日常。こんなことで、良いのだろうか……。
 そんなことをぼんやりと考えていて、わたしは思い至ったのです。

「恥の文化を、大切にせねばイカン!」

 わたしにあんな目を見せる娘も、お風呂で必要なもの(ボディクリームやら歯ブラシやら携帯電話を入れる防水袋やら)を思いついては、マッパで探し物をしていたりします。いずれ嫁に行った先でも、入浴中に携帯電話で音楽を聴きたいがために、マッパで台所に入り、食品保存用の高性能密封のビニール袋を探したりして、義理のお母さんが腰を抜かすようなことになったら、わたしの責任です。もうこれは、わたしだけの問題ではないのです。

 良い習慣は、思いついた時点から実行せねばなりません。わたしは二度と裸で歩きまわらないことを心に誓い、お風呂から上がりました。すると脱衣所には、手ぬぐいが1枚しかなかったのです。

 今までのわたしだったら身体を拭くのを諦め、居間にいる娘の前をマッパで横切りながら
「バスタオルないじゃんね」
 と笑い、そこから方向転換し、お尻を見せながら2階の洗濯物干し場にあるバスタオルを目指して、水滴を滴り落としながら、階段を上っていくことでしょう。
 しかし、恥の文化に思い至ったわたしは、これまでのわたしではありません。ここにある手ぬぐい1枚で恥ずかしい場所を全て隠して、バスタオルのある2階まで行き着かなければならないのです。

 最初に考えたのは、腰回りに手ぬぐいを巻きつけ、両手で胸を隠しながら進む方法です。しかしやってみると、わたしの身体がジャバ・ザ・ハットなために、腰回りで手ぬぐいを結ぶことができませんでした。
 次に考えたのは、温泉に入る若妻がやるように、身体の前面にぴったりと手ぬぐいを貼り付け、3点(胸のポッチ2つと局部)を隠すやり方です。しかしこれだと階段へ方向転換した時に、お尻が丸見えになってしまいます。

 そこでわたしが考え出したのは、残像を応用して身体全体を隠すという、忍者でもなければ思いつかないような天才的な技でした。
 イメージとしては、まず手ぬぐいの端を右手の指先で握り、プロペラのように身体の前面で回転させます。回転は、手ぬぐいの残像が全体に白く残るほどの、高速でなければなりません。
 そして、手ぬぐいの描く円の中に身体の全てが入るように腰を屈めて、見られたくない相手の視線を、手ぬぐいのプロペラ越しに据えます。この関係性を保つことにより、身体が移動しても常に身体とターゲットの間には手ぬぐいのプロペラが存在することとなります。階段への移動は後ずさりになりますが、部屋の間取りはしっかり頭に入っているので心配ありません。最後に階段を上る直前に方向転換し、お尻の辺りに一瞬でひょいっとプロペラを移動すれば良いだけのことです。

 わたしはまず脱衣所の扉を全開にしました。手ぬぐいの回転を、扉を開ける動作で損なわないためです。そして、脱衣所から出た時点でプロペラが最高速度になっているように、手ぬぐいを振り回しはじめました。
 力一杯回した速度は思ったよりは遅かったものの、わたしはプロペラを身体の前面に構え、脱衣所を出ました。居間でくつろぐ娘の後頭部に視線を据え、プロペラに隠れるよう身体を前屈させます。そのまま居間の中央まで進むと、プロペラの唸る音に気づいたのか、娘がゆっくりとこちらを振り向きました。
 グッと娘の眉間にシワが寄り、目が一回り大きくなります。
 なにごとがあろうとも、ターゲットから目を離してはいけない。わたしはガッチリと娘と見つめ合います。娘の瞳には何かを尋ねたいような表情が浮かびますが、会話をする余裕はありません。わたしは視線で娘を圧倒しながら、プロペラの速度を保ったまま、移動します。横移動に続き後ずさり。最後は身体を反転させながらもプロペラの定位置は崩さず、ひょいっと階段に隠れて無事2階にたどり着きました。

 気がつくと、身体はプロペラの風の力のせいか、カラカラに乾いていました。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
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