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ほったらかし温泉にもう一度行きたい/沢野ひとし

 三十代の初めの頃に鉱山の発掘・採掘をする山師に憧れを抱いていた。将来は金や銀を求めて各地の山を放浪して歩く職業に就きたかった。
 山梨と長野の県境にある秩父の高峰、金峰山(きんぷさん・2599m)の近くの岩場で、仲間とロッククライミングをしている時に、手のひらに載るくらいの水晶を発見した。結晶した石英はキラキラと輝いていた。そっと顔を近づけると鉱山の香りがした。

金峰山


 山に登ると、林の匂い、やがて川の匂い、そして頂上付近は鉱物の匂いがする。きっと宇宙に接近するからだ。
 それから週末になると、時間を割(さ)いて金峰山の辺りへ水晶や金鉱探しに出かけた。軽自動車にテントと寝袋を積んで岩場を登る。ロープなどの登攀(とうはん)道具を携えて、新たな鉱物産地を求めて崖を見つめ、歩いていた。まわりには今や何も採れなくなった水晶洞窟もいくつかある。村の長老宅に日本酒と高級和菓子を持参して、情報収集を図ったが、戦後すぐに掘り尽くされ、今はただの石しか残っていないという。さらに南米から安価な水晶が大量に輸入され、水晶産業は壊滅状態と嘆く。

郷土料理


 そんな山からの帰りは、富士山を望み甲府の町が一望に見渡せる「ほったらかし温泉」で、山師への想いを静めるのであった。やがてそこにも十年程すると、秘境の温泉ブームが訪れ、車が串団子のごとく重なってやって来た。露天の素朴だった湯泉が賑わいだし、ついには大型バスの観光ツアーも来るようになった。

ほったらかし温泉

 日本一の絶景温泉、ほったらかし温泉には、「あっちの湯」と「こっちの湯」があり、料金は別々である。一番の違いは営業時間であり、夜景を見ながら浸かりたい人は「あっちの湯」がお勧めである。
 さらに山梨の名物ほうとうを食べて、山梨の食材を腹に収めよう。特に冬場のカボチャ入りのほうとうで汗をかけば、来る年も健康でいられる。
 もう一度青春時代のほうとうの里に行こう。

山梨名物ほうとう

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi