note_第26回_口をきく猫

口をきく猫/新井由木子

 猫が「ママ」と言えるようになりました。
 わたしの家に住む2匹の猫の、若いほうの雌猫ナノの話です。最初は「ニャニャッ!」と、口角を鋭く上げて細かく鳴くだけでした。それが最近、口の中の空気を舌で丸く包むようにして、柔らかな「マ」を発音するようになったのです。いつでも短く2度続けて鳴く度に「ママ、って言ってるのね、偉いねえ」と褒めているつもりが、発音のお手本を示していたのかもしれません。
 ナノは雉(きじ)猫ですが、全体にグレーが強くかかっていて縞がはっきりしない地味な色合い。灰色で丸々と太っていて手足も短いことから里芋とあだ名されるナノが、真面目な顔をして「ママ」と言うのは可愛いけれど、どこか妖怪じみてもいます。

「ウチの猫は口をきく」という話はよく聞きますが、だいたいが飼い主にだけ聞こえる言葉で、思い込みでしょうと笑われることが多いものですね。猫が口をきくはずがないという通念が、世の中にはあるようです。
 でもわたしは、どうも猫は口をきこうとしているな、と感じるのです。口をきこうとしているけれど、構造上、上手に発音できないだけなのではと思うのです。というのは、ウチで猫が口をきいたのは、ナノが初めてではないからです。

 それは、猫のサキイカバズーカ(思いつき書店vol.012参照)で紹介した猫、テンテンの話です。
 娘が小学校高学年になる頃まで、テンテンはいつも大きな声で
「ぱいーん! ぱいーん!」
 と鳴いていました。
 それは可愛らしくも騒がしい、変な鳴き方でした。ある時わたしは娘と2人、居間でくつろぎながらテンテンの鳴き方のマネをして遊んでいました。
「ぱいーん!って鳴くよね」
「ね。ぱいーん! ぱいーん!…あれ、どこかで聞いたことあるな」
「ぱいーん? ぱいーーん…。ねえ、これって、もしかして」
「まさか!」
「でも、そっくりだよね」
「ていうか、同じだよね!」

 我が家は築70年は経過しているボロ家ですが、一応二階建てです。そしてその頃は、二階の寝室(というか寝場所)で眠る、寝起きの悪い娘を起こすのに、階下からわたしが名前を大声で呼ぶのが、毎朝の恒例になっていました。
「○◯ー◯!」
 それは正に、テンテンの鳴き方にそっくりなのでした。

 わたしと娘の罪は、そのことに気づいてテンテンのいる前で大笑いしたことです。それ以前に、鳴き方のモノマネをしている時点でもデリカシーがありません。
 その日以来テンテンは、ぱったりと「ぱいーん」と鳴かなくなりました。その顔は傷ついているように見えました。テンテンなりに一生懸命、家族の一員として娘の名を呼んでいたのに。そのことを思うと今もわたしは胸が痛みます。

 そういうことで、今回しゃべり始めたナノについては、ここだけの話にしておいてください。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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