note_第19回_勘違いの世界

新井由木子【思いつき書店】vol.019 勘違いの世界の巻

「今年も終わるね」
 わたしの娘は幼いころ、この言葉を聞いて12月31日でこの世は終わるのだと思っていたそうです。
「怖くなかった?」
「みんなが平気そうにしてるから、そういうものかと思ってた」

 ものすごく怖いことも、みんなが平気そうにしていると自分だけ怖がってはイケナイような気になるのです。わかります。なぜならわたしも昔、人は誕生日に死ぬ、と思っていたからです。
 そう思い込んでいた原因は、クリスマスはキリスト様のお誕生日なのに、クリスマスの日にテレビに流れる映像を見ると、苦しそうに十字架にかかっておられたから。クリスチャンの家庭であればすぐに誤解も解けたかもしれませんが、うちは仏教徒。誕生日という情報と十字架上の姿がゴッチャになり、幼いわたしのなかで、勘違いが生まれたのです。

 そんなわたしの幼き時代の誕生日は、嬉しさと恐怖という2種類の胸の高鳴りが同時に押し寄せる、非常にスリリングなものでした。母がこしらえてくれたご馳走も、もしかしたらこれが最後かと思うと夢のように輝いて切なく見えました。夜は布団の中でサヨナラの涙が流れ、翌朝いつものように目が覚めると『今年も乗り切ったんだ!』と、達成感がありました。そしてお年寄りは、ものすごい回数の誕生日を乗り切ってきて、すごいなあと思っていました。

 わたしはそういう“勘違い”が好きです。勘違いの向こうには別世界があるからです。

 例えばエレベーターを呼ぶ時に押す上下ボタンは自分の行きたい方向を指示するのではなく、そのボタンでエレベーターの箱を直接動かしているのだと、わたしは結構長い間、思っていました。
 わたしの故郷式根島には高層ビルなど1つもないので、エレベーターなるものが身近になったのは本州の高校に入学してから。高校にも当時入っていた寮にもエレベーターは無く、外出を制限される厳しい寮だったので、駅前のデパートにも頻繁には行けませんでした。今と同様1人行動が多かったことなども、気づきを遅くした原因と思われます。

 あれはわたしが高校3年生で、夏休みを利用して池袋にある美術の予備校に通っていた頃のこと。デパートの中の画材屋さんをウロウロしてから、さて帰ろうとした時です。エレベーターホールで1つのエレベーターを選び、いつものように下にいるエレベーターを呼ぶべく、上矢印ボタンをエレベーターが来るまで長押ししていたわたしは、突然、雷に打たれたようなショックと共に気がついたのです。
 今、エレベーターの箱の中には何人かの人が乗っているはず。エレベーターの箱と一緒にその人たちを、わたしは今動かしているのか? この人たちは他の階で降りたいかもしれないのに、わたしに呼ばれて上がってきているのか? エレベーターって運が良ければ呼んだエレベーターに乗って行きたい階を押してそこに行けるけれど、運悪くだれかがエレベーターを呼んだら、そっちにつれていかれるのか?
 わたしの脳内で世の中の高層ビルが全てスケルトンになり、運悪く上下しつづける人々を乗せたエレベーターだけが柱となって林立する映像が流れました。運が悪いとなかなかエレベーターから降りられない恐怖の世界……。

 娘の勘違いにはピーナッツの胚芽は毒というのもありました。しかも致死の。ピーナッツって小さいお煎餅やあられと一緒に菓子袋に入って2つに割れていることが多いですよね。その胚芽がついているほうは毒ということなので、1袋に毒と美味しいのが半分ずつ入っていることになります。日常のおやつの形で出てくるのに死のスリルがある世界。

 更に娘には洗面所の鏡についている「くもりどめ」のボタンを押すと空が曇らなくなるという勘違いもありました。天候を操るボタンが家にある我が家は凄いです。地球上の曇らなくなり具合は全て我が家に支配されている世界です。晴れるでもなく雨が降るでもなく、曇らなくなるという中途半端さが気になりますが。

 今年も暮れます。来年はちゃんとやって来ます。
 娘(大学4年)は、カレンダー業界だけは新しい年号を知っていると思っています。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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Twitter:@pelekasbook