note_第12回_猫のサキイカバズーカ

新井由木子【思いつき書店】vol.012 猫のサキイカバズーカの巻

 忘れられない光景というのは誰しも、思い出のあの時あの場所、美しい夕陽や家族の顔、張り出された受験番号(その逆も)など色々あると思います。
 わたしの目に焼き付いて多分一生忘れられないのは、白いすりこぎ状の物体。“猫のサキイカバズーカ”と我が家で呼ばれる、あの事件にまつわる光景です。
 バズーカを発射したのはうちの白猫テンテン。公園の段ボールから我が家へやってきて、里親探しをするも最後まで貰い手がつかなかった。少し頰がコケてヒョロヒョロした、一反木綿に似た猫ちゃんです。

 その事件は、まだ娘もテンテンも幼き頃、とある日曜日の夕刻に起こりました。
 わたしと娘は寝室(というか寝場所)のベッド近くに小さなテレビを運んで、アニメ映画を見ようとしていました。わざわざ寝室(というか寝場所)にテレビを運んだのは、まだテンテンが家に来て日が浅く、慣れるためにその部屋だけで暮らしていたから。映画を見ながらテンテンともゆっくりしようという気持ちでした。
 わたしたちはウキウキと、映画館よろしくジュースとポップコーンと思いましたが無かったので、サキイカを準備しました。故郷の式根島の母が釣り上げたイカの一夜干し。こんがりと焼いて細く裂いたのを、映画を見ながらしゃぶろうという計画です。

 さてベッドの上にわたしと娘とテンテンとが陣取り、映画も中盤のコマーシャル、口寂しくなったところで台所からビニールに入れてあったサキイカを持ってきて、袋をあけたところ……。
 テンテンがおかしくなったのです。

 生まれて初めて嗅ぐサキイカの匂いは、小さな猫の理性を失わせました。
 そのさまは、荒れ狂う小さな白いつむじ風。わたしたちが口に運ぶ隙などありません。わたしたちが袋から取り出し、口に入れようと縦に持つと間髪を容れず、飛びついてくる。両前脚で人の手にしがみつき、ンガンガという唸り声と共にサキイカにむしゃぶりつくテンテン。次々とサキイカが子猫の口の中に消えます。

 猫って……こんなに食べられるの……??

 今なら猫のことも色々わかってきているので、止めることもしただろうし、猫と人間の食べ物をきちんと分けることもしただろうし、そもそも猫が冷静さを失う程好きなものを目の前で食べたりはしなかったでしょう。
 でもその頃は、わからなかったのです。もう映画どころではありません。わたしと娘は呆然と、ただひたすら、次々とサキイカを飲みこむテンテンを見ていました。

 そして、その時は突然やってきました。まるで時が止まったかのようにテンテンがピタリ、と動かなくなったかと思うと次の瞬間、カッと開いた口から、すりこぎ棒のようなものが飛び出しました。
 サキイカの固まりです。

 驚いたのは、出てきたサキイカが全て綺麗に縦に揃っていたことです。
 テンテンは元々コケている頰を更にコケさせて、しょんぼりと大人しくなりました。

 あの有名な映画『エイリアン』シリーズのエイリアンにも似た、猫の口から飛び出した巨大なサキイカの束。繰り返しますが、それが全部縦に揃っていた映像は、一生忘れることはないと思います。

 テンテンはあれから年を取り、日に日に可愛いおじいさん猫になりました。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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