note_第40回_飛び出す本心

飛び出す本心/新井由木子

 とんでもない本心というのが、はっきりした言葉となって、口から飛び出すことがあるものです。
 そして、たとえ理屈や人の道にかなっていなかったとしても、本心なだけに力強い響きがあり、相手を納得させてしまう力を持っているものです。

 それは、わたしがまだうら若き娘の頃のこと。島で教員をしていた両親が揃って本州に転勤になり、両親とわたしと妹、それから犬のタロウとで、草加に暮らしていた時期のことです。

 その頃の我が家の楽しみは週末のドライブでした。小さな島出身の一家にとって、どこまでも地続きの本州を走るのは、特別な楽しみだったのです。

 その日のドライブのメンバーは、母とわたしと妹、それからタロウでした。わたしたちはコンビニエンスストアでおむすびとインスタントのお味噌汁を購入し、川沿いの小高い堤防上を、車で走っていました。母が運転をし、妹とタロウは後部座席。助手席のわたしは、熱湯を注いだお味噌汁カップをダッシュボードに置き、それがこぼれないように支えるという大役を遂行していました。

 どこへ向かっていたドライブだったのか全く覚えていません。お昼ご飯を食べ損ねて夕暮れ時になり、わたしたちは腹ペコでした。カーナビも、検索できる携帯もない時代。名物を売るお店も、食堂も見つからず、ようやく見つけたのはコンビニエンスストア。その向こうには川沿いの堤防が見えました。
 たとえ家の近所でも食べられるコンビニおむすびであっても、少しは小旅行気分を楽しむべく、川辺で食べられる場所を探そうと、わたしたちは車で堤防の上に出たのです。

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 ところがです。いくら走っても、車を止めておむすびを食べられそうな場所が見つからないのです。延々と続く細い堤防上の一本道は、引き返すことも、その場に駐車することもできません。
 わたしたちの腹ペコ度合いは激しさを増し、すでに川辺で食べることなどどうでもよくなり、ひたすら目を皿のようにして、おむすびを食べられるポイントを探すのでした。

 と、ふいに現れたのは、川と反対側の堤防下にある、小さな駐車場への小道でした。
「お母さん! あそこを降りよう!」
「よし!」
 そこでは川の景色も見えなくなりますが、かまっていられません。母は小道へと大きくハンドルを切りました。小道は90°以上の角度で、進行方向と逆に曲がる急カーブでした。しかも小高い堤防から降りることになるので、急傾斜。腹ペコにより、気持ちもあせっています。車は大きく傾きながら、勢いよく急カーブを曲がりました。

 その時です。
 ダッシュボードに置いたお味噌汁カップが、支えていたわたしの手とともに傾き、ゆるめに被せられた蓋をはねのけて、中身をぶちまけたのです。
 探し続けて時間が経ったわりにはお味噌汁は熱々のままで、中身はそのまま、わたしの太ももを直撃しました。
「あーち!! あーち!!」
 絶叫するわたし。履いていたジーンズにお味噌汁が染み込んで、熱さを振り払うこともできません。
 すると母が叫んだのです。
「全部こぼれちゃったの?!」

『だいじょうぶ?』でも『ごめんね!』でもなく、お味噌汁の心配をする母。
「今のはお母さんが悪い」
 後部座席から冷静に審判をする妹。何のリアクションもないタロウ。

 そして、わたしは逃れられない熱さにもだえながらも、思わずお味噌汁の残量を確認報告するのでした。
「半分ほど残っているよ!」

 いつも家族の健康を考えて、苦労して育てた野菜を送ってくれる母。わたしが離婚後仕事を探していた時には、幼い孫を島で預かって愛情深く育ててくれた母。そんな母が思わず叫んだお味噌汁の心配は、人間の愛すべき本心を垣間見たような温かい気持ちになりました。
 なんか人間として可笑しみがあって、好き。

追伸
 この原稿を書くにあたって母に確認すると、
「あー、あの時ね。まさかそんなに熱かったとは思わなかった。ごめん、ごめん」
 とのことでした。

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook