note_第1回食パン犬のコピー

中澤日菜子【んまんま日記】#1 食パン犬

日々、美味しいものに抜かりなく目を光らせている新進気鋭の小説家の、目に留まるモノやコトとは。この連載では、母、妻、元編集者、そして劇作家としての顔も持つ中澤日菜子さんが、「んまんま」な日常を綴ります。

 隣の家で柴犬を一匹、飼っている。名をリリーという。
 とはいえ本名ではない。名を聞いたことがないので、わたしが勝手につけた名前、いわば「あだ名」である。

 うちはしがないちっぽけなマンションだが、お隣はこの一帯の地主さん。広い庭や車庫を持ち、前庭では畑すら耕作している。もちろん建っている家も立派な一軒家だ。見るからにして資産家、という風情である。
 この広い庭でリリーは飼われている。つまりは番犬ということになろう。

 だがどうもかんじんのリリーにその自覚がないらしい。なぜならほぼ毎日、リリーは寝ているからである。しかもきちんと伏せの体勢で寝ているのではなく、お腹を天に向け地べたにごろんと転がり、前脚後あしを思うさまおっぴろげて寝ているのである。

 これでは逆効果だと、この家の前を通るたびに思う。番犬どころか「ワタシまったくやる気ないんです。だから泥棒に入ってもたぶん大丈夫っすよ」と、道行く人にアピールしているようなものである。

 真夏、めちゃくちゃ暑いときは木陰でのたり。
 春秋のぽかぽかと暖かい日は、お日さまの光を全身で受けてごろん。
 寒さの厳しい冬ですら、移り行く陽射しを追いかけて場所を変えながらしぶとく転がりつづけているのである。

 その怠惰に徹した姿勢には、呆れを通り越して感動すらおぼえる。もしかしてお座りできないんじゃないかと疑ったこともあったが、ごくまれ――飼い主がそばにいるときや、前の道路を散歩する犬に吠えられたりするとき――には、ぴんと背すじを伸ばし、前脚を揃えて「お座り」の姿勢を取っている。とりあえず最低限「いちおう犬なんで」というポーズは取っているのである。

 もしかしたらリリーは、こちらが考えている以上に知能犯なのかもしれない。人間でいえば、上司や客が見ているときだけ仕事に励むふりをして、その他の時間は「外回り行ってきます」と言い置き、ネットカフェで惰眠をむさぼっているようなやつ。いませんか? あなたの周りにもそういう要領のいい輩が。

 春夏秋冬、大の字になってすやすや寝ているリリーを見るたびに、わたしはこんがり焼けたトーストを思い浮かべる。六枚切りか四枚切りの厚切りの食パン。茶色のみみに沿ってほどよい焼け目がつき、ぱりっと割ると真っ白な生地がほっくりあらわれるようなやつ。
 リリーの薄茶の毛並み、そして真っ白なお腹は、まさにそんなトーストした食パンにそっくりなのだ。

 リリーの白いお腹を見ると、むらむらとバターを塗りたい衝動にかられる。バターでなくともいい。いちごジャムでもママレードでも、なんなら名古屋ふうにあんこでもよい。とにかくなにかしら塗りたくなっちゃうお腹なのである。幼いころ、ヤシの木の周りをぐるぐる回るうちにバターになってしまうトラが出てくる絵本を読んだが、あれなんかぴったりじゃなかろうか。

 トラバターを塗った食パン犬。
 食べたらきっと絶妙な組み合わせに違いないと、今日もリリーを見ながら思うわたしであった。


【今日のんまんま】
住宅街にひっそりたたずむ手づくりベーグルのお店。もっちり厚い生地のなかに、パストラミビーフとクリームチーズが入ったものと、スパイスがほどよく香るキーマカレーとのふたつ。んまっ!

ベーグルイメージ

ベルウッド/調布市国領町5 TEL 042-426-9830


文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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