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谷川俊太郎さんの北軽井沢の真四角の家/沢野ひとし

 今年の夏、近くに用事があったので、久しぶりに北軽井沢の谷川俊太郎さんの別荘を、そっと偵察してきた。
 別荘の、母屋から少し離れた所に、真四角な家がポツンとあった。私の記憶の中からすっかり消えていた家だったので不意をつかれた。
 林の中にひっそりとしかも毅然と建っている。沈黙した時が流れていく中で、頑固に両足を踏ん張り、耐えているように見えた。

 それは佐野洋子さんが、三十年前に谷川さんと結婚した時にプレゼントした家で、洋子さん曰く「(森の中にあったという)作曲家のマーラーの仕事部屋を真似た」そうである。
 外形は鴨長明の方丈庵を再現したような簡素で四角い作りだ。長明は四畳半ほどだが、谷川さんは十二畳(六坪)である。洋子さんは谷川さんに、ここで人生の無常を味わってもらうために、この家を建てたのだろうか。

林の中の別荘


 厳しい自然に晒されている別荘地では、家は建てて三十年もすると、あちこちが傷み、蔦がからみ、廃墟への兆しが漂い始める。
 誰もが永遠に若くありたいと切望するように、建物からも、色褪せることなくいつまでも使って欲しいと、訴える声が聞こえてくるようである。

 私は建築巡礼をするかのように、四角い家の周りをぐるりと歩き、屋根にも厳しい視線を送る。
 使用した素材が良いのか、外装はまったく傷んでいなかった。それに、土地の斜面をうまく利用して建てているところに、あらためて設計者の力量を見た。

真四角の家


 図面を引いたのは、洋子さんの親友の娘さんで、その当時はまだ武蔵野美術大学建築学科に在籍していた清水要子さんである。おしゃれで笑顔が魅力的な彼女は、やがて一級建築士の資格を取り、本格的な建築家として活躍していく。

 彼女は、荻窪にある洋子さんの自宅兼アトリエ、そして薪ストーブと床暖房を備えた冬でも過ごせる別荘と、三つの建物を設計してきた。
 洋子さんが彼女に依頼する時の口癖は、「大きく見えないように」「奢(おご)って見えないように」「立派に見えないように」であった。つまり謙虚な家である。だが逆にそうした家は、見た目よりはるかにお金がかかっていたりするものだ。建築は細部に神が宿るともいわれる。

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 北軽井沢から戻り、谷川氏宅へ偵察した近況報告の電話を入れると、「最近は行けなくなったので、別荘を自由に使って」と言われた。この言葉を聞いて私は「居座る」ことを決心した。片付け魔、掃除魔の私が使うのなら、別荘も喜ぶはずだ。
 佐野洋子さんが亡くなってから早くも十年が経つ。四角い家はいくつもの夏を知り、今も呼吸をしている。近々、もう一度あの家に行ってみたい。

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。最新刊『ジジイの片づけ』(集英社)が好評発売中。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi