note_第17回_湯けむり2つ目の頭事件

新井由木子【思いつき書店】vol.017 湯けむり二つ目の頭事件の巻

 銭湯って楽しい。
 今は昔ながらの銭湯よりスーパー銭湯が主流になりましたね。わたしの住んでいる草加にもいくつかスーパー銭湯がありますが、かつてその中のひとつによく娘を連れて行っていました。
 そこはウチから自転車で行けば身体もポカポカと温かいまま帰って来られるくらい近い、『松湯』の愛称で地元民に愛される獨協大学前駅近くの『スーパー銭湯・湯屋処まつばら』。ほぼ銭湯のようなお値段で入れるのに、ジェットバスもサウナも露天風呂もついています。わたしと幼かった娘のつつましい暮らしの、大切なうれしい場所でした。
 浴場に入る前には入口から広がる食堂兼休憩室で、娘に牛乳を飲ませました。普段は飲みたがらない牛乳も、番号を選ぶとアームが伸びてきて瓶を掴むタイプの自販機の楽しさと、むあっとした銭湯の暖かい空気が冷たい牛乳を美味しくさせるのか、娘は喜んで飲んでいました。

 地域の銭湯なので、知り合いにバッタリ会ってしまうことも、よくあります。それは主に娘の保育園で顔見知りのママさんたち。女湯の中は全員裸が当たり前といえども、生まれたままの姿で挨拶するのは、知り合いなのでかえって少し恥ずかしい。そして、恥ずかしい、と言うこと自体も、なんだか照れてしまうのです。
 なので、さりげなーく恥ずかしいところを隠しながら挨拶をします。
 右の掌で左腕の二の腕を掴み、胸を一気に隠して笑顔。あるいは体の正面を全体的に後ろに回して、首をひねって挨拶します。そして下のほうはといえば割と平気です。なんとなくですが、下よりも胸のてっぺんのほうが恥ずかしい。

 湯船に沈んでジワーッと心地よくなっていると自然と心の垣根が低くなり、隣で同じようにジワーッとしている人と言葉を交わすこともあります。
 一度、年配ではあるけれどとても美しい方が、若い頃結婚してすぐに亡くなった旦那さんを今でもずっと好きだという話をしてくださったことがありました。スーパー銭湯の屋外にある夜の露天風呂で、空にはあかるく満月が出ていて、それがその方の肌の白さと似ていて、わたしは胸がいっぱいになったのを覚えています。
 また別の時には、あるおばあさんから、おじいさんが入院していること、おじいさんには苦労をさせられ随分頭にくることもあるけれど、毎日お見舞いに行っていることをお聞きしました。
「仕方ないから行ってやってるんだよ」
 おばあさんの口から発せられる一つひとつの単語は荒っぽかったものの、湯の中のせいか言葉の運びがゆっくりで、のんびりとした憎まれ口を聞くのは稀な体験でした。そして、人の心って言葉で表現するものの下に何層にも色々な気持ちが重なっているんだなと思いました。

 まだ幼かった娘も、普段のあわただしい生活ではなかなか聞けないことを尋ねてきます。
 身体を横にして入るタイプの湯に並んで寝転んでいると
「ねえ、ママ?」
 娘は急に湯の中にスックと立ち上がって眉間にシワを寄せながら、わたしの下腹部を指差しました。
「ねえ、ここも頭なの?」
 きっと娘は、毛の生えているところイコール頭なのかな、と悩んでいたのでしょう。
 わたしは
「どう思う?」
 と答えておきました。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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