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屋久島にもう一度行きたい/沢野ひとし

 屋久島は九州本島最南端の佐多岬から南方約60kmに位置する島である。1000mを越える山が30座以上もあり、一番高い山が中央部にある宮之浦岳(みやのうらだけ・標高1936m)で、冬は雪が積もり洋上のアルプスといわれている。

 屋久島が有名になったのは、樹齢数千年といわれる縄文杉が発見されてからで、原始林は1954年に特別天然記念物となった。

 登山者は弥生杉、大王杉などの固有名がある古木の屋久杉を見に登ってくる。そして宮之浦岳頂上までとなると、行程は十時間以上はかかってしまう。そうなると日帰りでは無理で、山小屋に泊まるか寝袋やテント持参となる。

宮之浦岳


 息子と二十数年前に登った屋久島の思い出が懐かしい。いつもの山仲間に交じり、息子は少し緊張しながらヤクシマシャクナゲの尾根を登っていった。リーダーの男が「今夜は屋久島カレーですね」と冗談を言い、みんな汗をかいて登っていく。山でのテントとなると、食事はカレーが多く、そのたびに谷川岳カレー、穂高カレーと、登る山の名を付けていた。

 屋久島は雨が多いことで有名だが、その夜は満点の星空であった。気心の知れた仲間と共に山に登り、料理を作り、酒を酌みかわす時、しみじみと生きている喜びを感じる。

 当時、高校を出た息子は定職に就かず、転々とアルバイトをして暮していた。自由に生きることは、自分でこれからの人生に覚悟を持たなくてはならない。そんな年齢にさしかかっていた。

 山を登りながら息子はリーダーの男に、山で食べていくにはどうしたらいいのかと健気なことを聞いていた。ヒマラヤ高峰に何度も登ったプロの登山家の彼は「そうだな、まずたくさん山に登ることだな」と優しい言葉を口にした。

屋久島シャクナゲ


 大きな岩が重なる花崗岩の宮之浦岳山頂からの眺望は、何ひとつ遮るものがなく、薩摩半島の開聞岳や口永良部(くちのえらぶ)島、種子島も浮かんで見える。

 濃紺の海上に広がる青く、いやむしろ青さが深すぎて黒く感じる空に、全員しばらく気が抜けたように沈黙していた。リーダーの男は「山はいいなあ」と言って下山コースを指さした。

奇石怪石が多い


 巨大杉を眺めつつ行くと、昔は杉の伐採・運搬に使われたトロッコの線路跡が、登山コースに使われていた。時折切り立つ崖にかかる橋を渡るのだが、下の川を見ると目が眩む。幅が1mもあり、注意すれば平気な橋だが、手すりがないので動揺する。橋のたもとに登山者の婦人がひとり、心細そうに立っていた。縄文杉を見に来た帰りで、なんとグループから離れてしまい、一人で橋を渡るのに怯えていたのだ。

 婦人は息子のザックに掴まり橋を渡りたいと泣きそうな声を出した。すると「あっ、いいですよ」と息子はうなずき、ゆっくりと二人は渡っていった。時間としては一分もかからなかったが、対岸に無事に着いた婦人は大きく溜め息をつくと、息子に何度も頭を下げていた。その後もトロッコ道から安心な林道まで、息子は婦人の後についていきながら一緒に寄り添っていた。

 下山道の終点まで来た時、リーダーの男は「山は上りより下りに遭難が多い」と息子のザックを叩いて笑っていた。

 五月下旬の屋久島には、すでに夏の光が輝いていた。帰る前日は島の南東の安房集落(あんぼうしゅうらく)の民宿に一泊した。近くの海で息子は泳いでいた。海水パンツを持ってこなかったので、下着のパンツ姿で気持ち良さそうに海に浮かんでいた。

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi