note_第43回_算数の中の兄弟

算数の中の兄弟/新井由木子

 わたしは、算数が苦手な子どもでした。
「兄が時速◯kmで家を出発します。弟が◯分後に自転車で時速◯kmで後を追いかけます。弟が兄に追いつくのは何分後でしょうか」
 こういう設問が好きではありませんでした。解いている間にも弟が兄を追い上げている気がして、落ち着いて取り組むことができないからです。そして追いついた暁には、兄弟に何が起きるのかも気になるのでした。

 今、大人になって改めてこの設問に向き合ってみると、当時の幼い自分のモヤモヤがよく理解できます。
 弟が兄を自転車で追いかけるというのは、余程のことだと思うのです。もしかしたら弟は何かに怒り狂って兄を追っているのではないでしょうか。弟は兄に追いついたとたんに、兄の頰にビンタを食らわせるのかもしれません。問題の正解と、兄が頰を張られる破裂音が、頭の中で重なります。

 また、こんな設問もありました。
「ショートケーキが2コありました。お母さんは四人兄弟に、ケーキを半分ずつ食べなさいと置き手紙をして出かけました。最初に長男が帰ってきて、言いつけどおりにケーキを食べました。次に次男が帰ってきて、やはり言いつけどおりにケーキを食べました。次に三男が帰ってきて言いつけどおりに食べました。ところが最後に帰ってきた四男には、ショートケーキが1コの半分ではなく、1/4しか残っていませんでした。なぜでしょう」

 答えは、簡単です。長男が2コの半分として、ショートケーキを1コ食べたのです。次に次男が1コの半分を食べ、三男が半分になったショートケーキを、更に半分にします。ショートケーキは、もはや立っていることはできないでしょう。断面を上にして、お皿の上に横たわり、四男が帰る頃には少し乾いています。

 この状況、どう考えても長男は確信犯です。目の前のケーキの数と兄弟の数で、母の真意が伝わらないはずはありません。意味を歪曲して自分だけが多くケーキを食べたのです。

 そして、次男はどうでしょう。兄が食べた後のケーキの皿を見れば、兄の悪行がわかったに違いありません。
 この時次男のとるべき最善の道は、自分は食べるのを諦め、弟たちに1コのケーキを残すことでした。これにより次男は、弟たちの信頼を得ることができるはずでした。そして、常日頃からこのような横柄な態度で弟たちを虐げる長男に対して、3人で力を合わせて、クーデーターを起こすことだってできたはずです。

 しかし彼はそうしませんでした。彼は残った1コのケーキにナイフを入れ、ケーキを半分食べました。それは自分は兄と同じ勘違いをしているというアピールでした。また、母の言うことを正確に実行した、ということでもあります。言いつけだけを文字どおり守り、事件全体については、我関せずの態度なのです。

 ここまで考えてくると、はじめの設問に出てきた兄と弟は、実はケーキの四兄弟の長男と四男なのかもしれません。
 それは四兄弟が成長し、久々に実家に帰ってきたお盆休みのことだったかもしれません。ペラペラのケーキを見た四男は、耐え続けてきた兄への感情を、とうとう爆発させました。

 薄べったいケーキに拳を振り下ろす四男。そのまま玄関へ向かい、母親の電動自転車にまたがります(電動自転車だと断定できるのは、スタート時のペダルの漕ぎ出しでスピードが出ないことが、設問のどこにも見られないからです)。
 弱気な三男は心配そうな目をしながらも何も言いません。次男はもちろん知らんぷりです。
 長男の同級生のエミちゃんが勤めているというスナックへの実家からの道は、障害物も信号もない、世にもまれな真っすぐな一本道。そこを、長年ことあるごとにおやつを搾取して肥え太った長男が、時速◯kmで歩いていきます。悔しさを押し殺して長男の横暴ぶりに耐えてきた四男はハングリー精神があり、強くなりたいとボクシングジムに通っており、鍛え上げられた精悍な体つきをしています。

 四男は、電動自転車で◯分後に長男に追いつきました。
 振り返る長男のふくよかな頰に、四男のビンタがヒットし、四男の拳についていたケーキの欠片(かけら)が飛び散ります。目を丸くして頰を押さえる長男。しかしそこで四男のつぶやいた言葉は、意外なものでした。
「兄ちゃん、これで、あいこだぜ」
 長年にわたる兄の横暴を、このビンタひとつで許そうというのです。

 横柄な長男、自分さえよければ良いという次男、弱気で自分の権利を主張したくないばかりに、弟も同じような立場に置くことを黙認していた三男。様々な人間の本質を幼いころから見続けていた四男は、人間的に豊かな幅を持ち、正義感と慈悲深さを兼ね備えた、立派な人に成長していたのです。

 妄想はどこまでも続きますが、思い出されるのは、わたしの娘が小学生で、鶴亀算を解いていた時のことです。
「薄暗がりの中に鶴と亀がいて、足が◯本あります。鶴と亀はそれぞれ何匹(何羽)いるでしょうか」
頭を抱えている娘を手伝おうと声をかけると、
「薄暗がりの中だと、鶴が片方の足を上げてたり、亀が気まぐれに手や足を引っ込めていたりするのが、見えないのではないか」
 と、悩んでいました。

 親子だなあ、と思いました。

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(了)


※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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