note_第57回昔オシャレだった

昔、オシャレだった/新井由木子

 昔、今の半分ほどの年齢だった頃のこと。
 渋谷を歩いていると、雑誌のカメラマンだという人に声をかけられ、1枚の写真を撮影されました。そのことを忘れてしばらく経つと、親戚のおばさんから「あんたはこんな格好をして街を歩いてるのか」とお叱りの電話がありました。そこではじめて、某ファッション誌の街角オシャレさんスナップに、自分の姿が掲載されたことを知ったのです。

 今その話をすると、皆さんとても驚いた顔をしますが、その気持ちはよくわかります。今のわたしに一番縁遠い言葉、それが『オシャレ』なのですから。
 すっかりコシのなくなった白髪交じりの髪を手ぬぐい巻きで隠し、顔はノーメイク。オシャレカフェのオーナーとして名を馳(は)せているコンバーション店主(以下コンバーション)が、なぜこんなわたしと仕事をするようになったのか、ほんとうに謎です。

 昔は肩紐のワンピースに革ジャンで、ちょっとセクシーだったためにおばさんには叱られたりしたものの、今はオシャレのかけらもないわたしが、草加のオシャレの聖地のようなこの場所にいられるのは、ひとえに『たかね裁縫所』の、万能ワンピースのおかげです。
 麻でできたこのワンピースは、ほぼ全てが同じ作り、同じサイズでありながら、ぽっちゃりした人も、ほっそりした人も、それはそれは可愛く着こなせるという、まるで魔法のような代物。しかも夏には風を通して涼しく、冬は重ね着をしてもゴワつかず暖かで、一年中着られます。わたしは最初の1枚を毎日洗濯して1年間使い、それからは1年に1枚ずつ買い足して、着回しています。

 こう書くと、今現在身近でわたしを見ている人は「おや?」と思われることでしょう。なぜならこの数カ月、わたしはそのワンピースたちを着ていないからです。実は、手持ちの3枚、全てのワンピースの脇の下が破れてしまっているのです。
 破れるのは必ず左の脇の下です。そしてお裁縫の大嫌いなわたしは、鏡の前でどのくらい腕を上げなければ穴が見えないか、確認しては着続けて、しまいにはそこから腕を出すことができるまでに穴を成長させ、ついに着るのを諦めたのです。

 先日、たかね裁縫所の、たかねさんの旦那さんの明日太(あすた)さんが、カフェ・コンバーションにお友達を連れてやってきました。そこでわたしは、ワンピースの左の脇の下が全て破れてしまった件について、相談をしたのです。
「不思議なもので、よく動かしている右腕の付け根でなく、左の脇の下が破れるんだよね」
 すると横からコンバーションが、
「わかった! 右手は上げたり下げたりするから風が通るけど、左はずっと下ろしてるからムレて布地が腐ったんだ」
 と、大発見をしたとでもいうような大きな声で言うのです。すると明日太さんが
「もしかすると左脇からだけ、布地を溶かす何かが出ているのかもしれないな!」
 と、これも未知の物質発見の可能性に思い至ったような、生き生きした感じで言うのです。
「えっ? あの独特の匂いのするあの液が?」
 その発見は確かに面白いので、わたしもノリます。
「新井さんさ、脇の下でなんでも溶かす商売始めたら? こう、スッと脇の下を通すだけで、なんでも溶かしちゃう商売」
 明日太さんが言い、
「大金持ちになれるじゃん!」
 コンバーションが羨ましがってるのかバカにしてるのかわからない声で言って、わたしたちはその場でしばらく大爆笑を続けました。

 いつの間にか、脇の下で溶かすのが布地だけでなく、産業廃棄物全般になっているし、そもそもその液で溶けないわたし自身はなんなんだろうと思いますが……もしもわたしが昔のまま、写真に撮りたいくらいオシャレだったら、きっとこんなに笑うことはできなかったでしょう。そう思うと、今のわたしも満更でもないと思うのです。

 明日太さんには以前、大量のブルーベリーをいただきましたが、今回のお土産は、山盛りのかりんとうでした。

画像1

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook