note_第30回_恐怖_語りかけるモノ

恐怖! 語りかけるモノ/新井由木子

 人でないものが語りかけるということが、世の中には、ほんとうにあるものです。

 猫が話すというレベルではなく(思いつき書店vol.026参照)、生命を持たない無機質なものが語りかけてくる。
 例えば器物に魂が宿ることを、日本人は古来から『つくもがみ』などとして信じてまいりましたから、決して突飛なことを言っているわけではありません。お気に入りの人形や身につけるアクセサリーなどに対して、まるで生き物に対するような愛着がわき、それが語りかけてくるような気がしたことは、誰にでもあるのではないでしょうか。

 しかし我が家で起こったのは「気がする」の範疇を超えた、実際に目に見える形での「語りかけ」。
 そんな驚くべき出来事が我が家に起こったのは、喋(しゃべ)る家電などというものが、まだSFの中の出来事として語られていた、20年以上も前のことでした。

 わたしが現在住んでいる家は、草加せんべいで有名な埼玉県の草加市にあります。地域の開発に取り残され、大きなマンションに囲まれて、まるで谷間のような場所にある、年季の入った一軒家。ボロで古くとも広さだけはあり、2階の一部屋を、贅沢にも洗濯物を干すためだけに使っています。その部屋がそんな事件の舞台になるとは、代々住み続けた祖父母から私に至るまでの、誰が予想し得たでしょう。

 その部屋は南向きで、一面が全て小さなベランダに続くガラス戸になっています。とはいえ、近隣にそびえ立つマンションの陰になっているので一日中薄暗く、洗濯物はパリッと乾くことがありません。そこで購入したのは、当時としては小ぶりの除湿機でした。
 段ボール箱から取り出してみると、ランドセルを縦に2つ重ねたくらいの大きさのそれは、全体がグレーで、正面から見ると下半分が透明なプラスチックになっていました。説明書を読むまでもなく、各部のパーツを調べるまでもない単純な作り。コンセントに繋ぎスイッチを入れると、早速ゴウゴウと音を立てて部屋の空気を吸い込んでは背面から出し、その循環中になんらかの方法で水分を分離して、透明部分に溜めていくようでした。
 小さい機械なのにその威力はものすごく、洗濯物はパリッと乾き、この除湿機は良い働き者だと、満足したのでした。

 そのまま働き続けてもらって、次々と洗濯物の乾く快適な日々を送っていると、ある朝、除湿機はその動きを止めていました。見ると今までに光ったことのない赤いランプが点灯しています。そこには『満水』と書いてありました。
 さてはと透明な部分を見ると、そこには水が満々と湛えられていました。これを捨てないと、もう水が溜められないのね。もう少し観察すると、透明なプラスチックの上のほうに、ちょうど指をかけられそうなくぼみがあります。
 指をかけて力を入れると、カタンと音を立てて透明部分が斜め手前に倒れ、中に湛えられた水が揺れました。透明部分全体がタンクになっていて、取り外して水を捨てる仕組みのようです。

 しかしわたしはタンクの中を覗き込んで絶句しました。そこにはあまりにも率直な除湿機からの語りかけがあったからです。

 透明のタンクは、奥に向かって手を差し入れると、中央が大きくくぼんでおり、そのくぼみに手をかけて、タンクを引き出す仕組みです。くぼみの上部が水の中に透けて見えます。そこにはプラスチックをエンボス加工して、次のような言葉が書かれていました。

トッテ

 水を、あるいは水が入ったタンクをトッテ欲しいのだと瞬時に理解したわたしは、その場に凍りつきました。
 一瞬あたりは真っ白な、わたしと除湿機だけが存在する世界となり、語りかける除湿機は対話を受け止めるか否かを、平然とした顔で問うていました。

 冷静になって考えてみると、それはまぎれもなく「ここに手をかけて取っ手として使ってね」というメーカーからのメッセージでした。

 それでも、無機質なものから語りかけられたと思ったその不意打ちは、この世の理(ことわり)が足元から崩れる、わたしの内部で世界が引っくり返るような一瞬でした。そしてそこには無機質なものに語りかけられた驚きのほかに、初めての会話がタメ口という衝撃も少なからずあるのでした。

 相手が人だとしても驚くよね、初対面でタメ口での頼みごとって。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook