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母心は飛行機に乗って/新井由木子

 わたしの故郷、伊豆諸島と本州を空路で結ぶのは、たった8人乗りのプロペラ機でした。
 2席が横並びになった座席が4列しかないので、外から見ると、飛行機の本体部分の横幅は軽乗用車ほど。奥行きも乗用車2台分くらいだったように記憶しています。
 大きな翼を本体の上につけ、滑走路を走るための車輪を前に突き出し、正面に大きなプロペラをつけた姿は犬の顔のようにも見え、親近感がわいたものでした。

 客席エリアは座席のみ。通路もなければ、立ち上がれるだけの空間もありません。一番前の座席のすぐ先には、操縦席がありました。乗客との間には仕切りなどはなく、タクシーの運転手さんくらいのカジュアルさで、パイロットがいるのです。
 叩こうと思えばパイロットの肩をポンと叩くこともできる。そう思うと、つい叩いてしまいそうな自分を試されているような、そこはかとない恐怖心がよぎるのでした。
 また、座席の横には、乗用車と同じ距離感で搭乗用ドアの取っ手もすぐ手の届くところにあり、これまた触ってみたらどうなるのかという怖さがありました。

 重要なのは、機内の重量というか体重配分です。機体が小さく軽いだけに、人間の重量が飛行機全体のバランスに影響を及ぼしてしまうのです。
 乗客は全員、搭乗前に体重を量ります。機体の後部を重くしたほうが飛行に都合が良いため、体重の重い人は後ろの席へ、軽い人は前へ。家族であろうがカップルであろうが、振り分けられてしまうのです。

 それは小学校低学年の頃のことでした。子どもであり、体重の軽いわたしと妹は、一番前の座席に並んで座りました。両親は別の乗客を挟んで後方の座席でした。
 離れて座ると決まった時、母から手渡されたのは、丸めた餡子に白い砂糖衣をかけた『松露』という和菓子でした。飛行中、退屈したら食べなさいよ、という意味で渡されたとは思うのですが、なぜ『松露』だったのかはわかりません。
 子どもに渡すにしては渋い。幼い子の喜びそうなものはほかにいくらでもあるだろうに、と子ども心に思ったのを覚えています。

 飛行機は滑走路を飛び立つと、急角度で上昇しました。エンジン音に機体全体がビリビリと震え、耳がキーンとなります。雲の上に出るだけでも心が躍り、やがて海上に出ると、雲の切れ間から青い海に鯨が群をなして泳ぐのが見え、その光景は見飽きることがありません。
 しかしそんな中でも気になるのは、手に持たされている『松露』です。

 実はわたしは、餡子がそんなに好きではありません。特に、餡子がメインの和菓子などがあまり得意ではないのは、子どもの頃から変わっていません。
 餡子は何かと一緒にハーモニーを奏でてこそ美味しい。どら焼きはギリギリセーフ、最中はアウト。『松露』はアウトの部類です。
 しかしいつまでも手に持っているのも嫌なので、とにかく量を減らしていくべく、『松露』の周りの砂糖部分からカリカリと齧り始めました。やがて『松露』がむき出しの『餡子』へと変貌を遂げた時点で、その事件は起こりました。機体が、ガクン、と揺れたのです

 その衝撃で『餡子』は、わたしの手から落ちました。すぐに拾おうとしましたが、シートベルトをしているために、身体を思うように屈めることができず、指先は餡子に届きませんでした。
 飛行機は風の抵抗を受け、機首を上げたり下げたりと揺れ始めました。すると床に落ちた餡子が機内を転がり始めたのです。コロコロと、たまにトンッと勢いよく弾んだりする気配が感じられました。
 後ろの乗客も皆一様に身体を曲げられないため、餡子はそのまま島に到着するまで、機内の床を、全ての乗客の足元を、転がり続けたのでした。

 島に到着すると、後から母が手に餡子を持って降りてきました。その顔はちょっと怒っているように見えました。元々丸かった餡子は転がり続けたためにますます丸く、磨き上げられて光っていました。

 先日、突然母が「ユキ(わたし)がお腹を空かせて泣いている夢を見た」と電話をしてきました。こんなにも栄養満点で肥え太っているわたしなのに。
 母親とは、いつ何時でも、子どもに栄養価の高いものを与えたいものなのか。飛行中に子どもたちが腹を空かせたらいけない。もしかしたらあの『松露』にも、そんな母心が込められていたのかもしれません。

思いつき書店086文中のコピー

(了)

草加の、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴る連載です。毎週木曜日にお届けしています。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。
「東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、思いつきで巻き起こるさまざまなことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook

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「思いついたことはやってみる」と言うのは、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんです。世界文化社delicious webの人気連載【まだたべ】を改題し、食べるモノに限らず、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴ります。今日も思いつきで色々なことが巻き起こっていますよ。

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