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自転車店のおじさんは街の灯でした/新井由木子

 仕事で椅子に座っている以外は、自転車にまたがっている(活動時間中)。
 そう言っても過言ではないくらい、わたしにとって自転車は、なくてはならない生活の足です。小回りが利き、大量の荷物を引き受けてくれ、更に体重が重くても文句を言わない自転車は、わたしの忠実な僕(しもべ)。
 しかし僕は文句は言わないけれど、悲鳴は上げるのです。日々の酷使により、我が家の自転車はそれはそれは頻繁に、修理を必要とする症状を引き起こしているのです。

 頼りにしていたのは、近所の自転車店でした。
 昔ながらの看板建築の店構え。中に入ると年季の入った木造りの棚に、解体された自転車のパーツがぎっしりと入っており、土間が、自転車の陳列と、修理などの作業スペースを兼ねていました。呼び鈴もインターホンもなく、「お願いしまーす!」と声をかける方式。すぐに2代目店主のおじさんが、奥の畳敷きの四畳半から「おーう」と、登場してきます。
 客はもれなく、おじさんの勧めるパイプ椅子に座り、修理の間中よもやま話をするのがお決まりのようになっており、わたしも例外ではありませんでした。

「どうやら家の屋根裏にネズミがいるみたいなんですよ」
「猫でも飼ったらどうだ」
「もう飼ってますけど、全然反応しないんです」
「昔はネズミの見張り番として猫をおいたものだけどな。最近のは、かわいがられるばっかりで、ダメだな」
「ですね。うちの猫なんかテレビ見てますもん」
「嘘つくんじゃない!」
 厳しく言い放つおじさん。キョトンとするわたし。
 猫って、動物番組などに興味を示すことがありますよね。そういう意味で言ったのですが、おじさんの脳裏に浮かんだのは、ちょっと違うシーンだったようでした。

 しばらく沈黙が流れた後、全然違う話題が始まります。
「なんだ、風邪ひいてるのかい。鼻を垂らして」
「花粉症なんですよー」
「多いなあ、花粉症。俺も辛いんだよ。薬を飲まないとやっていられないよ」
「なんか、花粉の出ない杉っていうのが発明されたらしいですよ」
「もう遅いよ!」
 再び厳しく言い放つおじさんと、キョトンとするわたし。
 おじさんがこんなにひどい花粉症になってからでは、確かに遅いよなあ。でもわたしに怒っても、仕方ないんだけどな。
 必ずおじさんがちょっと怒る、というパターンの会話は楽しかった。自転車が壊れた時にしか会えないというレア感も良かったのでした。

 店の前を通ると、近所のおばさんや、地方から出てきて慣れないひとり暮らしをしている(わたしの推測です)若者まで、自転車を挟んでおじさんと話をしているのを見かけたものでした。どの人と話している時も、おじさんは楽しそうだった。みんなどんな話をしてたのかなあ。

「もう年だから廃業するよ」
「えっ。おじさんと話せなくなるの、さみしいな」
「大丈夫だよ、俺この辺歩いているから」
 そう言ったのに、おじさん全然歩いてないじゃん! 今はわたしが怒りたい。
 自転車店はマンションに変わってしまい、もう自転車が壊れても、あのどこか懐かしい自転車店を訪れることも、おじさんとのたわいないおしゃべりを楽しむことも、できなくなってしまいました。

(了)

思いつき書店087文中

草加の、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴る連載です。毎週木曜日にお届けしています。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。
「東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、思いつきで巻き起こるさまざまなことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook