note_第31回_わたしとキヨシの地図

キヨシと地図を作る/新井由木子

 2019年の1月は、ひたすら古地図を描いておりました。

 描いたのは、わたしの書店ペレカスブックのある草加宿場町通りの大正時代の姿。全長約1.4キロの宿場町通りにあったのは、わたしの数えたところによると、商店168、飲食店21、農家4、せんべい店4、医院4、旅館2、銭湯3、豆腐屋2、職人さんの住居38。それから郵便局、銀行、警察、役場、お寺2、神社2、裁判所。道に面して小さな店先がずらりと並ぶ、華やかな宿場町通りだったのでした。

 そしてこの地図は、2月から草加中央図書館での展示が決まっていました。1.4キロの道の両側に立ち並ぶ合計255の建築物を、展示スペースの長さ4mに縮めて描くのです。
 この古地図の監修は、草加在住で『埼東文学』という文芸誌を主宰する歴史研究家・染谷洌氏。先日はNHKで平将門研究の第一人者と紹介された、わたしの尊敬するかっこいいおじい様。草加の時代背景、草加独自の地理からなる歴史の特徴などを、繰り返し、市民に教え続けてくださっているのです。
 その染谷先生が「間に合うのか?」とお尋ねになる度「楽勝です」と答えるわたし。下描きしてみた速さからすると、だいたい8日で家並みが描きあがると計算していたからです。その後は人物なども描き込む予定でした。

 毎日お店を閉めた後に、4mの紙を引っ張り出して描きまくる。鉛筆がみるみる短くなる。しかし、意外に時間を取られたのが大きな紙の扱いでした。全部広げては描けないので、机に載る分だけ広げ、描いては畳む。道の反対側を描くために戻って開いて描き、また畳む。
 また、描いている途中に気がつく調べ物も多いのです。民家の玄関は? 洋食店の看板に何と描く? ガラス窓のデザインは?

 結構時間がかかると気がつきはじめた搬入2週間前、地図を覗き込んできたのは、最近関西から草加に引っ越してきたキヨシ(kiyoc)という絵描きの女の子。
「手伝いましょか?」と、かわいいことを言ってくれたのでした。そこで人物と風俗を担当していただくことに。
 それから夜毎に現れるキヨシちゃん。絵だったら何時間でも描いていられる2人の絵描きの夜は、音楽すら必要とせず、ひたすら鉛筆を動かして過ぎていきました。
「なんか描いて欲しいのありますか?」
「桶職人描いて!」
 鉛筆の走る音の合間に、指示を仰ぐキヨシちゃんの声がかかります。
「描いて欲しいのありますか?」
「看護師さん描いて!」
「次、何描きましょか?」
「人力車描いて!」
「あのう、新井さん。これ、ホンマに1人でやるつもりやったんですか?」

 染谷先生が「大丈夫か?」と、毎日見にくるようになります。「楽勝です!」は「大丈夫です!」になり、「かならずやり遂げます!」に変わり、とうとう搬入の朝を迎えたのでした。

 休館日で無人の図書館に集まり、床に地図を広げます。何回も折ったり開いたりしたのでボロボロです。端はビラビラに破れ、期せずして古地図の風合いを出しています。
 更に、このままでは描いた建物の役割がわかりにくいと思ったわたしは急きょ、酒店、料理店、職人の家などと、地図上に吹き出しにして書き込んでいくことにしました。キヨシちゃんは描いた人物や風俗を、地図の上に貼っていきます。

 ところで、人がたくさんの時間や作業をつぎ込んだものには怨念や執念がこもり、奇跡を起こすことがあります。
「新井さん、看護師さんどの辺に貼りましょか?」
「えーとえーと、どこかに病院あったんだけど、どこだっけか。いいや。適当に貼って!」
「わかりました。このへんでええかなあ……。うわあっ!」
「どうした?!」
「テキトーに置いたら病院の前でした」
「まじか、ほんとだ!」
「桶職人どこに貼りましょか?」
「えーとえーと、桶職人の家があったんだけど、どこだっけ。いいや。適当に貼って!」
「わかりました。このへんでええかなあ……。うわあっ!」
「どうした?!」
「テキトーに置いたら桶職人の家の前でした」

古地図01

 この一連の作業の間、染谷先生は街道の貴重な資料や写真、関連ある書籍を別のケースに並べていましたが、その仕事も終わり、じいっと2人の作業を見守っています。多忙を極める先生が、ひたすら待っていらっしゃる。わたしは心の中で平謝りしつつ、実際には謝る時間すらも無いので、黙々と作業を進めるのでした。

 わたしとキヨシちゃんが紙の上から立ち上がったのは、作業をはじめてから2時間も経過したころ。ここで初めてキヨシちゃんと染谷先生が挨拶を交わします。
「あなたは名前はなんて言うの」
「キヨシです」
「わたしも洌(キヨシ)ですよ。同じですね」
 そんなことを話しながら、2人がガラスケース内で作業をしています。
「しかしボロいのが気に入らないねえ」
「端を切ってしまいましょか?」
「そうだな、切ろう」
「これで水平ですかね」
「もう少し上にしよう」
 体が太くてガラス内が危なっかしいわたしは、外から2人の作業を見守りながら、こう思っていました。
“ダブルキヨシ!”
 そういえばわたしの父もキヨシ。キヨシに生を受け、キヨシを呼ぶ女!

古地図

 偉大な先生の知識を享受した上に、お待たせし、作業をさせ、犬の絵で大人気の絵描きをコキ使うなんて、まぎれもなく不遜なわたし。しかし出来上がった地図はボロくとも、なかなか意義はあったのではないかと思うのです。

『草加の楽しい古地図を作る(草加宿場町通りの大正ロマン)』は、2月から3月半ばまで草加中央図書館に展示され、東武よみうり新聞と埼玉新聞が取材に来てくださいました。
 次は、戦後の復興をテーマに描く予定です。興味のある方は、是非一緒に描きましょう。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト・写真:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook