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私はこれで、スキューバをやめました/沢野ひとし

 スキューバダイビングに夢中になっていた三十代の終わりの頃、沖縄の那覇を起点に、年に二、三回は南西諸島の島々を巡っていた。
 遠く台湾に最も近い与那国島、ハイビスカスとサンゴ礁の石垣島、水牛車がゆっくり通る竹富島、海の青さに驚いた座間味島、久米島、サトウキビ畑の徳之島。
 島巡りを回想すると、いつも淡いピンクに染まる夕暮れの空が目に浮かぶ。東京にいる時に、あの南の島で見たような空を見ると、過ぎ去った青春時代を思い出して胸が詰まる。

夕日

 那覇に着くと、真っ先に国際通り近くの公設市場に行って、二階にある食堂で定番の「ソーキそば」を注文する。
 ソーキとは甘辛く煮こんだ豚のスペアリブで、コーレーグース(島トウガラシを泡盛に漬け込んだ調味料)をかけて、これをオリオンビールのアテにする。
「沖縄そば」は、カマボコ、島ネギ、紅ショウガが基本の具で、これにソーキが乗ると「ソーキそば」になる。店によってダシの味はそれぞれ異なり、主に豚骨とカツオ節をあわせて作られているが、煮干しや昆布が使われるところもある。
 島ラッキョウに、小さな青いプチプチした海ブドウも必ず注文する。遊び仲間が多いとオリオンビールの追加が際限なく続く。私はソーキそばを犬のように唸りながら食べているらしい。

ヤツガシラ

 私は熱中するがすぐに飽きてしまう性格で、あれほど凝っていたスキューバダイビングを、ある時にあっさり止めてしまった。その一番の理由は、海の中を覗くにしては器材が多すぎる、ということだ。
 水中メガネ、シュノーケル、手袋、足に着けるフィン、BCD(浮力調整装置)、空気を吸うレギュレーター、ウェットスーツ、腰に巻くウェイトと、頭からつま先まで完全装備しなければならない。

サンゴの砂

 あれは五月の連休に石垣島を訪れた時である。アオサンゴで有名な白保海岸で、海水パンツ一枚で両手を広げて一人、海の上に浮かんでいた。その時、あまりの開放感に「裸が一番」と思わず海水パンツを脱ぎ去って、海面を漂った。海水がじわじわと体に染み込んでいくのが実感できた。水中メガネをかけずに海の中で目を開けると、サンゴがかすかに漂うようにゆらゆら揺れていた。
 その日の体験がきっかけとなって、スキューバダイビングからきっぱり足を洗ってしまった。

ハイビスカス

 南の島はどこも鮮やかな花が咲きみだれている。朱色のハイビスカスの向こうに青い空と海が広がっている。ブーゲンビリアが石垣から垂れ下がっている。そしてどこまでも続くパイナップル畑。
 海岸の白砂を手のひらですくってみると、白い米粒ほどの貝に白いサンゴ、さらに白いヒトデが光っている。

パイナップル

 昼食はシンプルな「八重山そば」が良い。コショウ科の香辛料ピィヤーシが食欲をそそる。
 どこからともなく「サァユイユイ」の掛け声で有名な民謡「安里屋ユンタ」が三線の音色とともに聞こえてくる。
 ♪マタ ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
 南西諸島には確かに多くの神様が棲んでいる。

太鼓

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、『ジジイの片づけ』(集英社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。3月15日に最新刊『真夏の刺身弁当』(産業情報センター)刊行。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi