note_第39回_恐怖___コンバーションの眠れなかった夜

コンバーションの眠れなかった夜/新井由木子

 わたしの営む書店ペレカスブックはカフェコンバーションの中にあります。
 いつも自分のことをスゴイと言っている(思いつき書店vol.020参照)カフェコンバーションの店主(以下コンバーション)ですが、彼女は意外にも怖がりです。
 ハエは素手で仕留めるくせに、バッタなどの類がダメ。脚がわさわさとしっかり生えているものが怖いらしいのです。いつだったか、お手洗いにどこからかバッタが迷い込み、大騒ぎになったことがあります。コンバーションが、わたしを呼び立てて始末しろと言うのですが、わたしは手を貸しませんでした。
 すると、
「新井さんのくせにバッタを怖がるなんて生意気だ」
 と言い出し、しまいには
「バッタを怖がるなんて新井さんのキャラクターに全然似合わない」
 と、涙を流しながら怒るのです。
 心外です。
 わたしはバッタが怖くて手を貸さなかった訳ではありません。バッタなど素手でつかめます。ただ、普段パスタを400gも食べる元気な人が、小さな虫に怯えているのが面白かったので、それを楽しんでいただけなのです。

 バッタ以外にも、年に数度、コンバーションが怯えているところを見ることがあります。
 それは幽霊が出そうな雰囲気の時。脚がたくさん生えているものも怖ければ、足の無いものも怖いらしいのです。
 ある時、店の拡張のため壁の漆喰を塗り直さなければならなくなったコンバーションが、閉店後帰ろうとしたわたしを、無理やり引き止めたことがありました。どうしても、夜に独りぼっちで店内にいるのが怖いらしいのです。その日わたしは歴史研究家の染谷 洌先生(思いつき書店vol.031参照)との、年に2回だけある文芸誌の打ち上げを、とても楽しみにしていたのですが、
「ええええーーっん。帰っちゃうのおーー」
 と、鼻にかかった声を出し、いつまでもじっと見つめてくる彼女に押し切られ、打ち上げへの参加を諦めたのでした。それは本当に、絵に描いたような泣き落としでした。

 どうしてこんなにコンバーションが怖がりなのかというと、彼女が今までに経験した恐怖体験が、他とは一線を画す強烈なものだからかもしれません。それらは、あまりにも怖くてここに詳細は書けないのですが、
『排水溝の逆立つ髪』
『太ったピンクのバスローブの幽霊』
『入ったまま釣り上げられる簡易トイレ』
『ドブに落ちて忘れられる』
などのタイトルをお聞きいただいただけでも、そのパンチ力は想像していただけるかと思います。

 そんなコンバーションが、先日とても疲れた顔をして、怖くて眠れなかったと言うのです。また、一風変わった幽霊でも見たのでしょうか。
 理由を聞いてみると、その夜くつろいでいるときに、彼女の家の空気清浄機が急に赤いランプを点滅させ、猛烈な強・空気清浄を始めたそうなのです。魚を焼いていたわけでもないのに、近くで何か叩いてホコリを立てたわけでもないのに、いきなり。そんなことは、空気清浄機を買って以来、初めてのことだそうです。
 おかしいと思いつつも寝ようとすると、今度は寝室の空気清浄機が、またもやいきなりゴオオと鳴り出したというのです。
「まるで、何か目に見えない悪いものがいるみたいだったんだよ」
 恐ろしさを思い出したのか、腕に立った鳥肌をさすりながら零(こぼ)すコンバーション。
「それはさあ、あんた自身がイライラしてたりして、悪い『気』でも出してたんじゃないの?」
 わたしが言うと、
「そうなのかなあ。もうひとつ心当たりがあるとしたら、いっぱいオナラをしていたことだけだ」
 とのこと。

 繊細なんだか、何なんだかわからないコンバーション。
 こんな人が、あんなに美味しいカフェご飯を毎日作っているのかと思うと、世の中は奥が深いと思うのでした。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook