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ああ納豆/中澤日菜子

 納豆はじつに奥の深い食べものである。
 ふだんはネギや卵を入れて混ぜてご飯にかけるか、スパゲティにからめて食べるくらいしか使わないけれども、世の中には「納豆料理専門店」なるものが存在し、じつにさまざまな食べかたで納豆を供してくれる。

 いちど小説の取材で水戸にある専門店を訪れたことがある。そのお店では納豆のてんぷらや、納豆アイスなど工夫を凝らした納豆料理を食べることができる。納豆の新しい側面を垣間見ることができた貴重な体験であった。
 かと思うと、納豆ほど好き嫌いの分かれる食べものもない。

 東京生まれ東京育ちのある友人は「あのネバネバがどうしてもだめ」と言って、納豆をいっさい口にしない。自宅でも決して出さないし、旦那さんが目の前で食べるのも許さないという。なので可哀そうに、納豆好きな旦那さんは、たまに旅行で訪れる温泉旅館の朝ご飯で納豆を食べることを唯一の楽しみとしている(さすがに旅先では友人も許すらしい)。よく関西圏のひとが納豆は決して食べないと聞くが、関東でも納豆嫌いは存在するのだ。

 確かに納豆は美味しいけれど、あの独特の臭みが苦手なひとはけっこう多いのかもしれない。うちの娘も納豆じたいは好きなのだが、納豆を出したあとのプラスチック容器、あれを食卓に放置したままでいると必ず怒る。
「臭いし、あちこちにくっつきそうで嫌だ」というのである。一刻も早く目の前から遠ざけよ、という。だったらじぶんで片づけなさいと思うのだが、それも手につきそうで嫌なんだそうである。なんとわがままな……

 でも確かに納豆ご飯を食べたあとのお茶碗は、洗ってもなかなかべたつきが取れないし、後片づけに苦労するものではある。大量の納豆茶碗を洗わねばならない、たとえば社食で働いているかたなどは、毎日苦労なさっているのではないだろうか。

 そんな話を飲食店を営んでいる友人にしたとき、画期的な話をしてくれた。友人のお店では朝のお掃除を終えたあと、賄いの朝食をみなで食べる。この朝食に納豆を欠かさず出すのだそうだが、最近、賄いを食べたあとにお茶碗を洗うひとのことを考えて「お茶碗のご飯に納豆をかけるのではなく、最後に残したご飯をプラスチック容器に移して食べるようになった」そうである。なるほど、これならお茶碗はべたつかず、洗うひとの手間も省けるだろう。忙しい飲食店ならではのコロンブスの卵的発想だと感心した。

 さて最後にこれまた驚いた友人の話をひとつ。
 あるときその友人と納豆について話をしていて「やっぱりあったかいご飯にかけて食べる納豆がいちばんだよね」と言ったらば、友人がきょとんとした顔をした。

 なぜ? ごく一般的な食べかたであろうに、と思い理由を聞くと、なんと彼の家ではみな「納豆は納豆だけでおかずとして食べる」そうなのである。つまりまず納豆を食べ、しかるのちにご飯を口に入れる。そりゃ確かに口の中で混ざるだろうが、納豆の「良いところ」をずいぶん損なっていはしないだろうか。

 そう主張するわたしに対し、友人は「いや、だっておかずなんだから別食べだろう」と言って譲らないのである。そんなのあり? かけてこその納豆じゃないの?
 この友人、カレーもやはりライスとわけて食べるそうな。
 世の中にはいろんな食べかたをする家があるのだなあと妙な感心をしたわたしであった。

【今日のんまんま】
外食自粛中につき、自宅で天津丼。お店で食べるよりもあっさり、娘のオーダーにこたえてグリーンピースもたっぷり。んまっ。

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この連載では、母、妻、元編集者、劇作家の顔を持つ小説家であり、納豆はあったかいご飯にかけて食べたい中澤日菜子さんが、「んまんま」な日常を綴ります。連載は、ほぼ隔週水曜日にお届けしています。

文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)、『お願いおむらいす』(小学館)がある。小学館P+D MAGAZINEにてお仕事小説『ブラックどんまい! わたし仕事に本気です』連載中。
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