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【全文公開】『京都 古民家カフェ日和』刊行記念!③ シリーズ・東京版の本文を2軒公開します/松庵文庫

川口葉子さん著京都 古民家カフェ日和(4月16日刊)の発売を記念して、「古民家カフェ」シリーズの本文を無料公開します。

\平日5日連続投稿/
最新刊の京都から2軒、シリーズ前作の東京 古民家カフェ日和から2軒に、取材こぼれ話を加えて、平日5日連続投稿の予定です。

なかなか遠出しづらい状況ですが、美しい写真を眺めながら、カフェめぐりを追体験いただけたら幸いです。

本記事では、シリーズ前作・東京版から、1軒目のお店をご紹介します。

\4月16日発売・予約受付中!/

\東京版も好評発売中/

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松庵文庫

樹齢百年の
大ツツジに守られた
音楽家夫婦の家

〈西荻窪〉

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 大正末期から昭和初期に建てられたらしい民家の前に、一本のモチノキが冬でも濃い緑をまとって立っていて、その幹に下がる小さな木札が「松庵文庫」であることを告げている。玄関でスリッパに履き替えながら、我知らず「おじゃまします」という言葉を口にしていた。

 なんて気持ちのいい、光のふんだんな空間なのだろう。どのテーブルも中庭の緑が楽しめるよう配置されており、ケーキ皿やコーヒーの表面に緑を帯びた光がとろりと回る。

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 中庭の主役は一本のツツジ。売り払われる予定だった古い家がカフェとして再生されるきっかけになった、樹齢百年の大ツツジである。

「花が満開の時は大きなピンクのぼんぼりみたいになるんですよ」と、カフェ店主の岡崎友美さんは微笑む。家の前を通る人にも花の気配を感じてもらいたいと各部屋を仕切る壁にガラス窓を設け、表通りにも中庭の色彩が届くようにした。おかげで犬の散歩中の人が鮮やかな花の色に気づいて足を止め、コーヒーを飲みながらツツジの景色を楽しんでいったりするという。

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 西荻窪の街角に五月の訪れを伝える風物詩になりつつあるこの家は、かつては音楽家夫妻の住まいだった。夫は指揮者、妻は元パーカッション奏者。生徒たちはグランドピアノが置かれた部屋で夫妻の教えを受けていたらしい。
 近くに住む岡崎さんが初めてこの家に足を踏み入れたのは、ご主人が高齢で亡くなった後のこと。家を手放すことにした妻、通称〝奥さん先生〞が招き入れてくれたのだ。

「いつもうちの二階から見ている中庭のツツジが、こっちから見るとこんなに大きいんですねと言ったら、奥さん先生が『ツツジをね、残したいのよね』とおっしゃって。『家が駐車場になるのは仕方ないんだけど、ツツジだけは』って。どうにかして残せないものですかねと何気なく言ったら、『じゃあ、残してください』って」

 願いはそんなふうにさらりと、奥さん先生から託されたのだった。ひょっとするとツツジの精の願いも混じっていたのかもしれない。百年を経た道具には付喪神(つくもがみ)が宿ると言うけれど、百年愛でられてきた、生命ある植物ならばなおのこと。

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 以前から歳月を経たものに心を寄せていた岡崎さん。その当時は司法書士の勉強をしながら司法書士事務所で働いており、迷いや葛藤はあったものの、奥さん先生との会話から約一年後に松庵文庫をオープンさせたのだった。

「今思えばカフェ開業は怖いもの知らずだったのですが、幸運にもたくさんの友人・知人が立ち上げに関わってくれました」
 リノベーションを依頼した「ゆくい堂」は、〈このままでいい……。このままがいい……〉がコンセプト。「この家にふさわしいと思いました。壁や柱の見た目は決してきれいではないけれど、むき出しのまま、この空間に何かがあったというストーリーを残しましょう、と」

 窓はすべて音楽家夫妻が防音のためにアルミの二重サッシに替えていたが、建築当初は木製だったであろうと木枠に戻し、デザイナーがその四隅に美しいアールを指定した。

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▲通りに面した部屋はギャラリーとして使用


 ところどころ表面の剥げた家具。書架にはたくさんの本。別室のギャラリーには日常の雑貨やうつわ。愛情を込めて再生されたカフェは多数のお客さまを迎えるようになったが、その中には往年の夫妻の教え子たちも交じっている。
 三十年ぶりにこの場所を訪れて、教え子同士の連絡ノートに家が残されていた感激を綴る人。亡き先生が指揮をしている写真を持参し、コーヒーを二杯注文して写真の前に捧げ、泣きながら飲んだ人。

「そのかたが帰る時に先生のお写真をくださったので、キッチンの高いところに飾って、困ったことが起きると手を合わせています(笑)」

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 嬉しいけれど困ることのひとつは、女性スタッフが次々に結婚しておめでたになることだという。どうもツツジが怪しい、もしや福の神なのではと、楽しい憶測も囁ささやかれる。

 カフェを出る際にもう一度モチノキを見上げ、先生の魂はこの常緑樹に宿って家全体のハーモニーを指揮しているのかもしれないと思った。そしてツツジには奥さん先生の心が宿り、岡崎さんにそっと想いを伝えてこの場を守り続けているのだ。

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本コラムは平日19時ごろに5日連続で更新します(本記事は3日目です)。
次回もお楽しみに!
※2日目の記事はこちら

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\今回のカフェは東京版に掲載/

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川口葉子(かわぐち ようこ)
ライター、喫茶写真家。全国2,000軒以上のカフェや喫茶店を訪れてきた経験をもとに、多様なメディアでその魅力を発信し続けている。
著書に『京都 古民家カフェ日和』『東京 古民家カフェ日和』(世界文化社)、『京都カフェ散歩 喫茶都市をめぐる』(祥伝社)、『東京の喫茶店』(実業之日本社)他多数。


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