note_第11回_イボで失神

新井由木子【思いつき書店】vol.011 イボで失神の巻

 皆さんは失神というものをしたことがありますか? わたしは3度、あります。

 1度目は前にちらりと告りましたが、落ちてくる石を真下から見たらどう見えるか試した時です。小学校の裏庭で自分の真上に投げた石は、尖った葉をこんもりとつけた松の枝影に隠れ、どこかなと捜しているうちに気がつくと眉間に直撃していました。その時わたしは一瞬だけ暗闇の世界へ行き、すぐに戻ってきました。石と張り合った硬い硬い自分の頭蓋骨の存在をありありと感じました。痛さに無性に腹が立ちましたが、怒りの持って行き場が無かったですね。

 2度目は妹と自転車の二人乗りをしていた時です。妹の運転が気に入らなかったわたしが荷台から手を伸ばしてハンドルを奪おうとし、走る自転車上で揉み合いとなり、制御を失って道路脇の切り立った崖に激突しました。目前に迫った岩壁が陽を照り返して、美しく光っていたのを覚えています。

 3度目は、イボに関することです。

 わたしには二の腕の内側と、その腕を身体にぴったりと添わせた丁度ボディところとの2カ所に、小さい小さいイボがありました。多分母の胎内で腕を形成する時に、そこは名残惜しく繋がっていたのでしょうね。

 あれは中学生の時でした。足の爪を切りながらふと目に入った二の腕のイボ。このイボって要らないな、とわたしは思いました。そして何げなくそのまま爪切りでイボを挟んで切り落とそうとしたのです。

 いきなり背後から、大男が建造物の骨組みになりそうな鉄骨を大きく振りかぶって、わたしの頭にフルスイングをかましました。それぐらいの衝撃が頭部にあり、視界がギュインッと小さくなり、わたしの意識はブツンと暗くなりました。

 気を失う程の痛さって、傷の大きさに比例するものではないんですね。
 イボにはかなりの神経の束が通っていたのでしょうか。それとも人は、イボ以外でも爪切りで切ったら失神するのでしょうか。ボディにもう1コイボはありますが、わたしにはもう試す元気は、一生かかっても出てきません。

 気がつくと、わたしはまたこの世に戻ってきていました。確認するとイボは相変わらず二の腕の内側にあり、一滴の血も出ていませんでした。でも日が経つにつれてイボはだんだん顔色が悪くなり、青から紫になって茶色になったある日、忽然とどこかへ行ってしまいました。

 ボディのほうのイボは、年齢と共に少し大きくなって、今も元気にわたしと共にいます。
 今日もわたしはイボをつけたまま、朝ご飯に目玉焼きを食べました。わたしは黄身が少しだけ固まりかけの半熟が好きで、絶対に醤油派です。

 では、また。
(『まだたべ』は、少しでも食べ物のことに擦(かす)ればオッケー、というルールで書いています。)

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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