note_第22回_かんなんぼうしの日

かんなんぼうし/新井由木子

 冷たい風の強い日です。こういう日はわたしの故郷、式根島の冬を思い出します。ビュウビュウと強い海風が常緑の椿や椎の木を揺すり、「ウサギが飛ぶ」と島の人が言い表わす白波が点々と、深い紺色の海の上に現れます。

 式根島を含む伊豆諸島では、旧暦1月24日を『海難法師(かんなんぼうし)』の日と呼んで忌み日にしています。それは恐ろしくも暗い伝説によるものです。

 昔、厳しい年貢の取り立てに来た悪い代官の船を島民たちが浸水させて溺れさせると、代官の体がバラバラになって各島に流れ着いた。これが『かんなんぼうし』だというのが、わたしが幼いころから聞き覚えていた伝説です。少し調べてみると、わたしの勘違いなのか、口伝するうちに変わったのか、怨霊は沈められた代官ではなく、沈めた側の島民でもあるらしいことがわかりました。

 それが大島ではしっかりとした伝説として残っていて、代官を沈めた島民たちを『日忌様(ひいみさま)』と呼び祀(まつ)っているようです。伊豆諸島各島での違い、時代ごとの変化も調べなければ責任のあることは言えないので、引き続き調べたいと思います。

 さて、この怨霊が訪れるといわれる旧暦1月24日・25日の2日間を、式根島ではそれぞれ『親だまり』と『子だまり』と言い、厄を払うとされる匂いの強いトベラという木の枝を門戸に刺し、夜に外に出ることは禁じられていました。昔は家の外にあったお手洗いにも行かれませんから、この日は水物を避け、お餅を食べて備えたそうです。毎年とても怖くて、声をひそめて過ごした2日間だったのを覚えています。
 そして、この日には必ずと言ってよいほど海が凪ぎました。島の2月といえば海は荒れる日が多いなかで、毎年それは不思議なことなのでした。

 ある年の『かんなんぼうし』の日については奇妙な記憶があります。
 それは中学生だった頃のこと。わたしは学校の窓からぼんやりと外を眺めていました。
 式根島中学校の北側の窓からは海が一望でき、本州方面に新島・利島・大島が見えます。一番近い新島は白い岩肌も緑の山も海岸の桟橋までもが鮮やかに見え、遠い利島や大島は水平線上に青い影となって重なりあっています。

 その日も例年のように海は凪いでいました。それも海面が鏡のようになるべた凪。空も青く晴れ渡り、風はそよとも吹きません。そんな海上に、ひとかたまりの黒い雲が見えるのです。
 一番高い宮塚山でも432mという標高の低い新島の肩にかかるくらいですから、海面からは300mほどの高さにそれはありました。大きさは新島の桟橋の倍くらいの大きさに見えましたから、直径200メートルくらいの小さな黒雲です。
 それがザアザアと雨を降らせながら、利島から新島へと移動しているのです。理屈に合わない現象なのですが、真昼の学校で同級生たちと騒いだ覚えもあり、本当にあったことと思えてなりません。

 わたしの信じていた伝説は、代官の体が各島にバラバラに流れ着いたというものでしたが、大島に残る『日忌様』の伝説では、代官の船を沈めた若者25人は、大島を逃げ出すも、どこの島でもかくまってもらえず、さまよったあげくに行方がわからなくなった、と語られています。黒雲が彼らの怨霊だとしたら、島を巡っていても伝説の理には適(かな)っていることになりますね。

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 最近は『かんなんぼうし』の頃には島に帰っていません。今でも『かんなんぼうし』の日は、怖いのでしょうか。海は鏡のように凪いでいるのでしょうか。不思議なことが起こっているのでしょうか。

 人が信じなくなると神は消えると、どこかで読んだことがあります。今でも島の漁師たちは『かんなんぼうし』の日は原則として漁に出ないそうですから、伝説も、怨霊も生きているのかもしれません。
 そうであって欲しいな。

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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Twitter:@pelekasbook